始めて髪を染めたのは、大学を卒業したときだった。
それまで真っ黒でストレートの髪を嫌いに思ったこともないし、これから先も髪を染めることだけはないと思っていた。当時アンジェリーナジョリーさえ黒髪にしたことが話題になっていて、私は黒髪でいることをひっそりと誇りに思っていたくらいだから。
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そんな私がどうして髪を染めたかというと、就職をした際に「話しかけられやすい人」になりたかったからだ。当時、仕事をするときは眼鏡をかけていて、漆黒の髪を低い位置に一つに束ねて仕事をしていた。
役人としてそこにいる私は、ときとして“お堅く”見えてしまうらしかった。私生活では、コンタクトにするし髪の毛も遊んでみることもあったから気にしていなかったが、新人の私にお客様が「役人って感じがして緊張するなあ」と言ってきたことから始めて自分の容姿について考えた。
お客様からの言葉から急いでお手洗いに行き、鏡を見る。確かに、学校で例えると放課後真面目に図書委員の仕事をしている女子って感じだった。そんな女子のことは嫌いではないが、「話しかけづらい」と考える人が一定数いることも理解している。
そうか、そうか。私は少し話しかけづらいのか。妙な納得感を覚えて、私はそのままその日の昼休みに次の休みに美容院の予約を入れた。髪の毛を染めるなんてしたこともなかったから、とりあえずテキトーにメニューを選んであとは実際にいって話をしようと考えた。あのときに私には躊躇いは一切なかった。あんなに黒髪に誇りを持っていたくせに。
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きたる土曜日。私は本当に美容院にきていた。簡単なカウンセリングを受けて、それから髪の毛の色を決めていく。たくさんのサンプルの中から選ぼうとするが、私の髪は漆黒かつ痛みも少なかったため、イメージよりももう1段もしくは2段明るくしたほうがいいと言われた。
そうなってくると少し緊張感が増す。本当にこれでいいのかとひどく悩みながら優しい美容師さんと一緒に新しい髪色を決めた。ついでに、胸の下まで伸びた髪を肩まで切り、なるべく軽くしてもらった。(ああ、どんどん私が新しくなっていく。)期待と不安でぐるぐるする私の心は、美容師さんの優しい手で綺麗に変わっていった。
結果として、私はやわらかい栗色の髪色で光に当たるときらきらする実に可愛らしい子になった。髪の長さも整えていただいたおかげで、眼鏡をかけてもお堅い感じは全くなくなった、と思う。「これならば、きっと。」私はそう思い、美容師さんにめいっぱいのお礼をいって、月曜日を待った。
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月曜日、職場の先輩方は私の髪を大層褒めてくれた。「かわいい」「あかるくなったね」「いい感じ」飛び交う言葉を受け止めるたびに、一生懸命相談にのってくれた美容師さんにお礼の気持ちが湧いてきた。
これだったらお客様にも話しやすいと思っていただける。そう信じて私は、受付へと向かった。けれど、お客様の反応は私の想像と違った。
「あら、こんな若い子なの」「ちゃんと仕事できるの」「今時の若いやつは」
次々と飛んでくる言葉は、以前よりもチクチクと私の心を刺してくる。話しやすい見た目になったと思ったのだが、お客様には髪色で遊んでいると思われたようだ。そのとき私は思った。
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人間って!!難しい!!
これはもう笑うしかなかった。作戦は大失敗だ。しかし、1つ学んだことがある。人間は本当に難しい。これがいいと思ってそちらに寄ると、反対側の人にやじを飛ばされてしまう。だからといって反対側につくと、また別の方向から。新人の私は大切な黒髪を犠牲にしたくなくて、考えた。そして言った。
「髪色ですか?初めて染めたんですよ、どうですかね」と。そこからすかさず「〇〇さんの髪もクルンとしたパーマ素敵ですね。」と。見た目でとやかく言われてしまうのであれば、もう話せる人間になるしかなかった。
否定された言葉をあえて使いながら、相手を立てて仕事をする。確かに時間はかかったが、私はこの髪色の変化をただの失敗にしたくなかったのだ。
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たぶん、いや、絶対ヤケだったと思う。けれど、この髪色にするために一緒に相談に乗ってくれた美容師さんがいてくれたことや、褒めてくれた同僚がいたことから、私は自信をもってヤケを起こすことができた。するとどうだろう、急にお客さんの態度が変わっていく。
「あれ、そう?これ地毛なのよ」とか「俺も若い頃はな」とか。そして私は再び思う。
人間って!!難しい!!
二度目の笑いだ。もう本当にわからなくて頭を抱えそうになりながら腹をかかえていた。
けど、私が人生で初めて髪の毛を染めたことによって学んだことは確かにあった。人間はひどく難しいし、誰かの意見に左右され続けるのも私には難しい、疲れてしまう。それならば、自分で選択する勇気を持てる行動をするべきだと。私の勇気が持てる行動が偶然「初めて髪の毛を染める」ことだったように、きっと人生にはたくさんの勇気が持てる行動があるのだと思う。私はこれからもそれを探し見つけ続けるのだろう。