社会が怖かろうが嫌気がさそうが、とりあえず40まで生きると決めている。心の支えにしている人が、「40過ぎたら生きるのが楽になった」と言っていた。

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就活が苦手だったからか、最初の会社を3か月で辞めたからか、ここ数年「自分」や「社会」を考えることが増えた。スムーズに社会人になれなくて、自分を責める気持ちや現実から目を背けたい気持ち、そしてとにかく「人生につまづいている」という実感が、胸のど真ん中に大きな穴を開けている。

自分は何ができて何ができないのか、何に優れて劣っているのか。できるみんなと、できない自分は何が違うのか、考え続けていたら社会人4年目になっていた。

ロールモデルとの出会いは、深夜ラジオだったか、アイドル番組のMCだったかもう思い出せない。正確には10年以上前に出会っていたが、ここまで深く傾倒していなかった。
積読していた「社会人大学人見知り学部卒業見込」を偶然手にとり、そのまま「ナナメの夕暮れ」を読んだことが、すべての始まりだった。

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彼もまた、「自分」や「社会」を考え続けていた。制服のボタンを上まで留める必要性とか、共感できない人からは「理由なんてない」と呆れられそうなことを、気が済むまで考えていた。

しかし、同じ棘を持つ人間の心を、チクリと丁寧に刺していく。

『他人の目を気にする人は"おとなしくて奥手な人"などでは絶対にない。心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。』

こんなの、誰も教えてくれない本当のことだった。

「ナナメの夕暮れ」を読み終えた時、自分が今悩んでいることの全ては、すでにこの人が悩んでいるなと思った。ならば、私が悩む時間は無駄。ゴチャゴチャした感情に気を取られそうになったら、辞書をひくようにエッセイを読み、ラジオを聞くようになった。

それから2年ほど、彼に手を引かれながら「自分」や「社会」を考え続けた。しかし、相変わらず人生はうまくいかない。

たぶん、少しは社会を分かったような気がしたけれど、今度は外側から観察しすぎて怖くなってしまった。得体の知れない大縄跳び。一度縄を見つめてしまうと、合流するタイミングが分からない。

解決を諦めかけたある日、テレビの中で彼が、「40過ぎたら、生きるのが楽になったんスよねぇ~」と言った。

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突然現れた「答え」だった。自分を変えよう、環境を変えようとあがいているけれど、もしかするとジタバタしないほうが沈まないのと同じかもしれない。日々に身を任せているだけで、生きるのが楽になる日が来るのかもしれない。

40になるだけなら、「その瞬間」が近い将来、私にもやってきそうな気がした。希望だった。頼もしくて眩しかった。

数年来の悩みの解消。どうしてこんなに腑に落ちているのか、満たされた気持ちでいるのかよく分からず、その後のトークには大口を開けて笑った。現状は何一つ改善されていないけれど、「人生がうまくいかない」への対処法を手に入れた。

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私のロールモデルはキラキラしていない。

社会になじめなくて、人生をうまく乗りこなせなくて、ちょっと面倒くさい。それでも、そんな自分をさらけ出して愛されている。

ああなりたい、とも思わない。今のうちに方向転換したら、30才で生きるのが楽になったりしないかななんて思ってしまう。

それでもきっと、40になるまであの人の言葉にすがって生きるのだと思う。「40過ぎたら生きるのが楽になった」。あの人がそういうなら、そういうものなのだと思える。