今、私はショートヘアだ。ショートにも色々種類というか名前があるようだが、自分のしているものが何にあてはまるのかは知らない。うなじが見えるくらい、顎よりは短い。少し髪が伸びた男性くらい。言うほどに分からなくなってくる。

◎          ◎

私がこの髪型にしたのは、社会人になって数カ月経ってからだ。大学時代、ミディアムからロングの間で維持していた髪を、入社と同時に切った。大学を卒業する頃には胸よりも長かったから立派なロングだ。だから長さとしては結構切ったと思う。

切ったのには理由があって、ロングであることに意味がなくなったからだ。大学生だった私は、髪を染めることに重きを置いていた。高校まで染めたことのなかった髪を大学に入って染めた。最初はただの茶髪だったが、味をしめた私は脱色を知り、色を入れることに価値を見出した。


全ての髪を染めるというより内側や毛先といった一部ではあったが、そうすることで他の人とは違う自分になれた気がした。緑とか紫とか色々やった。おしゃれに見える気がして、そういう風に染めるのが当時の私のこだわりだった。

大学卒業後入社する会社は普通の企業だったので、そういった自由な色に染めることは出来ず、また仕事柄きちんと髪を結ぶ必要もあった。極端に言えば染めることの出来ない髪に用はなかった。茶髪に出来ても意味がない。そう思っていた。だから切った。我ながらあっさりしていると思う。とりあえず肩につくくらいの長さにした。

◎          ◎

その後会社で働き始め、髪を結ぶ時間すら惜しくなった。ただでさえ時間のない朝、起きてからやることはたくさんあるのに髪に割いている時間などない。綺麗に整える時間が無駄だと思った。正確に言うと無駄とは少し違うのだが、結ぶことすらできない長さに切った方が時間の短縮になると思ったのだ。変な所だけ効率を重視する節がある。自分でもよく分からない。

切るのには少し勇気がいった。ロングを肩くらいの長さにするのと、そこからショートにするのは緊張感がだいぶ違う。切る長さは後者の方が短いが。ショートにしたら後戻りが出来ない。それくらいの長さにするのは小学生ぶりとかだったので似合うか分からず不安だったのだ。似合わなかった場合の悲惨さを考えると少しこわかった。ごまかしのきかない髪型、それがショートである。

だが、不安よりも時短が勝った。私にとって朝の睡眠時間は貴重だったのだ。結論から言えば、これは英断だった。

ショートにしてからというもの、ショート似合うね、と何度言われたか分からない。切る前の予想に反して好評だった。お世辞もあるだろうが、あまり深く考えず言葉通り受け取ることにした。

◎          ◎

それから数年が経ったわけだが、髪を伸ばすことはせず、伸びては切るの繰り返しでショートを維持している。そこまで気に入っているかと言えばまあまあくらいだ。でも似合っていないわけではないし、何よりも楽さの虜となり伸ばす予定はいまだない。

あの時、自分が少し大胆で、面倒くさがりで良かったと思う。似合うか分からないからショートにはできない、というのはよく聞くことだ。私だって同じ気持ちを持っていた。
だが、何事もやってみるまで分からない。やってみて初めてわかることがある。杞憂という言葉もある通り、心配をよそに案外うまくいくこともある。やってだめならその時に考えればいい。

私はずっとそのポリシーでいる。それはショートにした私が、教えてくれたことだから。