朝、会社に向かって歩いている時、駅のコンコースで素敵な女性を見た。

グレーヘアを一つに束ね、サングラスを胸元にかけて、その人が選びたくて選んだのであろうシンプルだけれど品の良いアイテムを身につけ、姿勢良く颯爽と歩く姿。
朝の陽光に煌めく白髪はとても眩しくて、何より格好良くて、私はその女性を見て、やっぱり「早くグレーヘアになりたい」と思った。

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髪を染めるたびに、どうせいつかは髪の色素が抜けて白髪になるのにわざわざ髪を傷めてまで抗おうとするのはなぜだろうと考えてしまう。
ブリーチで髪の色を抜いてしまう時も、どうせいつか髪の色が自然と抜けるのに手間とお金をかけてまでブリーチをして、そしてまた色を入れるのは、一体何に逆らっているのだろうと思う。

私が生まれてから自然に与えられた黒以外の色、茶色や赤やピンクや青やアッシュで、逆らおうとしているのはきっと時の流れなのだろう。
だけど、本当は私はずっとグレーヘアに憧れている。
自然と抜けた髪の色をそのまま活かして、白と灰色が混じり合うそのスタイルこそ、なんだか本当に生きているように私には感じられるのだ。

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けれど、今20代後半の私がグレーヘアをやりたいなら、どちらにしろ自然の流れに逆らって髪の色を抜いたりなんだりしなければいけない。
それに、私がグレーヘアをやったところで、きっと「グレーヘア」とは捉えられずに、ただ白またはグレーに染めた髪、もしくはどちらにも染めきれず失敗した髪のようになってしまうだろう。

そう、グレーヘアとはそれまでその人が生きてきた歴史を反映したスタイルであり、楽をして手に入れられるものではないのだ。
こんな風に若いということが良いことばかりではなく、一般的に言われるのとは逆の意味で時の流れに敵わないことも実は沢山ある。

生きてきた日々、重ねた年月こそが出せる、その人にしかなれない髪色。
それまでどんな色に染めてきたとしても、最後には人は自分にしかなれないこと、その人がその人でしかないことを教えてくれる色。

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朝の駅で少し前を歩く女性の後ろ姿を見つめながら、今年流行っていると聞いて美容師さんに言われるがまま染めた髪を撫でていた私は、本当はもしも許されるならグレーヘアの女性に、
「あなたはこれまでどう生きてきましたか」
「どうしたら私もあなたのようになれますか」と聞きたかった。

それでも時間だけは皆に平等だから、泣いても笑ってもこれから白髪は増えていくのだろうし、いくら憧れているとしても増えていく白髪に焦り、きっと私は抗おうとするだろう。

けれど、自分が行く道の先にあんなに素敵なスタイルがあると思えば、きっとただ時間や流行に流されるだけでなく、少し前を歩いてくれた女性のように、白髪の一本一本を私だけの歴史を積み重ねる過程だと思えるだろう。
それは年月の積み重ねを自分の味方に変える一つの方法でもあると思う。
生きているということ自体が私の、私だけのグレーヘアに繋がっていくからだ。

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あと何年かかるか、それまで生きていられるかはわからないけれど、もし染めるのも追いつかないくらい自分の髪色が抜けてきた時は、
「あなたはこれまでどう生きてきましたか」
「どうしたら私もあなたのようになれますか」
と聞きたかった今の私にちゃんとどんなふうに生きてきたのか答えられるように。

歴史を積み重ねるという言い方は少し大袈裟で恥ずかしいけれど、せめて姿勢良く颯爽と、私だけの道を一日一日を歩いていきたいと思う。