コロナのせいで、留学に行けなくなった。渡航の1週間前にキャンセルせざるを得なくなった。
今頃飛行機に乗っていたはずなのに。エコノミーの寝心地の悪さを心配していたはずなのに、それどころか、馴染んだふかふかのベットに私はいた。
今頃バンクーバーで国際色豊かなクラスメイトに物おじしながらも一生懸命英語でお喋りしているはずだったのに。私は学校に行くこともできず、ただ一人でやるせない時間を持て余していた。
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そんなある日だった。留学に際して属していたコミュニティの事務局から連絡があった。高校生の高校生による高校生のための団体。コロナで、外出がままならない今、海外や、英語そのものにまで嫌煙の余波が出ている。
それを払拭すること、今、自分たちにできる外のコミュニティとの関わり方を見つけることが目的だった。気がついた時にはもう、応募していた。トントン拍子にことが進んで、あっという間にコアメンバー5人のうちの1人になっていた。
誰か1人ではなく、みんなの意見を取り入れて、みんなでカラフルな団体にしたい。その思いから代表は決めなかった。何かの用紙に記入しなければいけない時は、5人の名前を書く順を毎回入れ替えた。手探りで苦労しながら作ったHPには、私達の名前を傘連判状のように円にして載せた。
一緒に企画を進める仲間が増えて、zoomで毎日のように話をした。海外の方とオンラインを繋いだり、全国の留学を夢見る高校生でディスカッションの場を設けたりした。素人の高校生の企画するイベントはどれもチープで荒削りなものだったけれど、その時間は私にとってなにより輝いていた。
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日本でも良かったんだと思った。凝り固まった考えばかり、同調圧力が強くて羽が伸ばせない、窮屈だと思った。そのせいで私はいつも周りの視線を気にして怯えているんだと思っていた。だから自由な場所で、誰も私のことを知らない場所で、過ごしたいと思っていた。
英語の習得は留学ほどの質の高さはないけれど、もう一つのこの目的に関してはただ、私が知らなかっただけなんだと知った。窮屈なばかりじゃない。日本でも、私を額縁に入れずに私の伝える言葉を行動を見てくれる人がいる。自分の夢や信念をキラキラした目で話して、誰かの夢も無謀だなんて笑わずに、同じ温度で受け入れて、ただ共感するだけじゃなく、そのために今すべきことについてきちんとぶつかれる。傷つけるためではなく、磨くためにぶつかれる人たちはたくさんいた。私はそんな、私が素敵だと思う人達たくさん出会った。
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コロナは確かに私の道を変えた。でも失ったものは何もない。だって、そもそも未来はまだ私が得ていないもののことだ。そのままの道だったとしても、手に入っていたかどうかさえ分からない。
私はただ、コロナで近すぎて見えていなかったものに気がついた。学ぼうと思えばどこからでも学べることを知った。私がどうありたいか、問題はただそれだけ。簡単なことに気がつけた時、人はきっと想像しているよりも簡単に大きく変われる。少なくとも私はそうだった。