新卒からずっと、何かしらお酒に関わる仕事をし続けている。紹介したり、説明したり、売ったり、作ったり。

もともと大学生の時からお酒を飲むのが好きで、その時はどちらかというと「飲みの場」が好きだった。いろんな人とサシ飲みして仲良くなったり、いろんな景色を見ながら缶ビールを傾けたり、いろんな種類のお酒との出会いに大人になった気分を味わったり、いろんな酒場のにぎやかさに自ずと楽しい気持ちになったり、そんな20代前半だった。

特にそう、飲み屋の雰囲気が好きだ。今でもこれは変わらない。あの、人情味のある、人と人とが飾らずに束の間袖振り合う感じを求めに行っているのかなあと思う。

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飲み屋が好きだ、と思ったきっかけは大阪に住んでいたときだ。
何を隠そうわたし自身もそうだったが、大阪ってどうしても難波に代表されるようなコテコテの大阪のイメージが強いのではないだろうか。特にその頃の大阪は、海外観光客が爆発的に増え出してから2、3年目で、どこに行ってもそんな「大阪」の姿を求める観光客がひしめき合っていたように思う。

でも、わたしが偶然足を向けた夕方の「駅前ビル」は、梅田という観光地にありながら、間違いなく大阪で働き大阪に暮らす人々のために無数の酒場が用意されていて、「これぞ本物の大阪だ」と直感的に思ったのだった。

特に衝撃的だったのが「せんべろ」とも称される夕方早い時間の1000円、もしくは500円のセットで、わたしが好んでよく行ったお店は「生中、串カツ5本」「生中、小鉢3品」で500円だったり、「レモンサワー、唐揚げ、ポテトサラダ」で400円だったり、破壊的な価格で幸せを提供していた。初めての一人暮らしで生活費を切り詰めていたわたしにとって、それでも飲む楽しさを諦めないでいられる、本当にありがたい措置だった。

お店は決して小洒落ていたり、店員さんの感じがすごく良かったりするわけではないけれど、どこへ入っても美味しくて楽しくて、これぞ酒場のあるべき姿だ…と悟った。

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旅先ではひとりで飲んでいることが多いので今もたびたび声をかけられるけど、大阪に住んでいた頃は誰かと飲んでいても声をかけられることがあったなあと思う。その声をかけられる感じは、決して「酔っ払いに絡まれる」感じじゃなくて、皆けっこうしゃんとしているのだ。まあ、こちらも少し酔っているから、相対的にしゃんとしているように見えるのかもしれないけど…
三宮の高架下の飲み屋で、隣席の親くらいの年の方がタコの踊り食いをおすそ分けしてくれたのがいい思い出。「娘が就職決まって」と嬉しそうに話していてこちらもニコニコしちゃった。

つまりは何よりもその地域に住む人たちや、そこを訪れた人たちが、の間他人と交わって楽しい時を過ごすことができるのが、良い酒場だと思うのだ。それは何も直接に言葉を交わさなくとも、同じ空気の中でジョッキやグラスを傾けることに意味がある、と思っている。そうする中でほどけていくいろんな気持ちがあって、誰かが幸せそうに飲んでいる姿を見るだけでも幸せになる。たまにトラブルもあるかもしれないけど、飲み屋にいる人たちは大体みんな楽しそうだ。愚痴を言っている人もいるけれど、それを言える相手がいて幸せなんじゃないだろうか。
引っ越した先や初めて行く先の飲み屋でお店の方や常連さんに優しくしてもらえた時は、心の底から嬉しくなる。そうやって生まれた人間関係もあって、わたしはお酒が飲めて本当に良かった、と思う。

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そんなふうに今も昔も変わらずお店で飲むことが好きなのだけど、仕事でお酒に深入りするようになってからは、お酒そのものの持つ歴史や、作りのこだわり、そしてお酒を作っている人たちへのリスペクトが大きくなってしまって、なんだか安易に酔えなくなってしまった…という一側面もある。
世間的にはともすると、お酒や酒場が低俗なもの、迷惑をもたらすもの、と捉えられている理由はよくわかるが、そういう話や、そういう見解に基づいたルールを見聞きするたびに、とても悲しい気持ちでいっぱいになる。そう思われる原因になっているであろう人たちに対しても、もっと楽しいお酒の飲み方があるのにな、と思う。

だけど!その一方で、もう簡単に酔っ払えなくなってしまった自分のことが、どこかでさみしくもあるのだ。こんなにもお酒のことを大事に思っているわたしだけど、いつかみたいに、安酒で酔っ払いたい日も本当はある。だいぶしばらくその日は来ていないけれど、またいつか、あるんだろうか…と、こっそり思い続けている。