不思議なことに、私はいつでも、一昨年前の自分には想像も出来ないようなことをしているか、もしくは予想も出来なかった場所にいる。

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4年前の私は長期入院生活中で、毎日病室のベッドでひたすら本を読んでいた。本と看護師さんと主治医とリハビリの先生たちだけが、コミュニケーションを取れる相手だった。コロナ感染予防対策のため、一切の外出・面会を制限されていた。

もちろんラインや電話で外部の人と連絡を取り合うことは出来たけれど、気持ち的にそうしたくはなかった。
理解しようとすることにも、されることにも疲れていたのかも知れない。

『極力誰とも関わらない』

というのは、試してみれば意外と楽で、デトックスとも言えようか。他人と関わることで生じる不安や心配事から、綺麗さっぱり離れることが出来た。取りこし苦労が消えて、自分が置かれている状況がクリアになった。また、今後自分が挑戦したいことや目標、それを達成するためにやるべきことの見通しもよくなった。

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退院して、元居た社会の中に戻ればそうはいかない。仕事でもプライベートでも、人が運を運んでくると私は本気でそう思っている。だからこそ、入院生活で実感した『交流デトックス』を実践する時間も、余裕もなくなる。
そのことが不安だった。

周囲が、苦手で嫌いな人ばかりだったなら簡単なのに…。
問題は、私の生活圏内にいる個性豊かな人たちは、とてもチャーミングで誠実で面白くて素敵な方が多く、好きにならずにはいられないということ。

そんな彼らから遠ざかるなんて出来なくて、退院間もなく、私はまた頻繁に人との交流を求めるようになった。

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当時はそれを『弱さ』だと捉えていた。
一人で、黙々と勉強し自分をブラッシュアップしてこそ、多くの人が手の届かないものを掴むことが出来る。その孤独を手放し、賑やかな楽しさに逃げることは、脆弱さだと思い込んでいた。孤独を知ったことで、私はそれを知らない人たちよりも強くなれたという過信と慢心があったのも事実。

でも結局は、私は何にも変わってなどいなかった。

人を好きになって勝手に期待して、裏切られたと思ったり、嫌われたかなと不安になったり…。
要は、ちゃっかりまた俗世界の悩みにハマってしまった。

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一方で、4年前には気付けなかったことにようやく気付いた。

結局この悩みは、自分の理想を無意識に押し付けて、そこから外れたものに驚嘆し失望しているだけの一人芝居だということ。それはもはや、交流ではない。
自分の妄想に惑わされ続けていただけで、そしてその妄想は、依存と執着と意地によるものなのだと気付いた。

『誰か(何か)を純粋に好きになること』と『執着』は、似て非なるものだ。だから自分の中で混乱しやすく、その落とし穴にハマるのかも知れない。

デトックスとか断絶とか、そういう極端な発想ではなく、『快く手放す』ことが出来る大人になりたいと思う。
悪いのは、外側の出来事や人や環境ではなく、自分が作り上げた妄想や、価値観、傲慢さ。
それを潔く手放して、またフラットな気持ちで出会い直す。その繰り返しの中で信頼し合い、助け合う。

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まぁ、たまには盲目になって喧嘩することもあるだろうけれど、一旦冷静になって戻ってくればいい。時間はどれくらいかかるか分からない。一年かも知れないし、十年かも知れない。
それでも付き合っていきたいと思える人に出会えたというところがポイントで、そういう人や場所とは、いずれまた出会い直すことになると思う。

誰かのことを大事に思えば、常に優しい気持ちで接したいとは思う。大切だと思う人は、これ以上丁寧に扱えないと思うほどに大切にしたいと思う。
でも常に、それがエゴになっていないか。執着と意地になっていないかと自問し続けながら、人と世界と関わっていけたらいいな。

こんな私と出会い、関わってくれる皆さま。
心からの「ありがとう」
そして、陰ながら応援してますよ。