新型コロナウイルスが猛威を奮い始めた2020年は、世の中が一体この先どう変化していくのか、程度の差はあれど皆が不安に思っていた頃だったと思う。漂う空気はどこか澱んでいて、混沌としていた。
誰もが知っている国民的コメディアンがコロナによって亡くなったニュースを見たときの哀しみは、今でも忘れられない。得体の知れないウイルスに対して恐ろしさを覚えた最初の瞬間だった。
2020年は、私自身も大きな変化のさなかにいた。
転職活動にしくじり、仕事を始めては辞め、始めては辞めを繰り返していた時期だった。時には数ヶ月のニート生活を送ったこともあった。物事に対する意欲がごっそりと削げ落ちてしまっていたせいで、働く気力はほぼゼロに等しくなった。
とはいえ、息を吸って吐いているだけでも税金は請求される。家賃も光熱費も引き落とされる。ただ生きているだけで、お金はかかる。
必要最低限の呼吸を担保するためだけに、私はとあるバイトを始めることにした。
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そのアルバイトは、どうやら一般的にはあまり良しとされない仕事のようだった。なかにはその仕事を「監獄」「底辺の溜まり場」と揶揄する人もいた。
24時間365日のフル稼働。シフト制ではあるものの、常にその場所は動き続けている。止まることを知らない。
1日に1,000人近い人々が働いている、巨大な密室のような空間だった。
作業エリアは基本的に窓がなく、電気がついているはずなのにどこか薄暗い。打ちっぱなしのコンクリートが、無機質な雰囲気に拍車をかけているのかもしれない。
止まることを知らない、というよりも「止まってはいけない」そんな職場だったから、コロナ対策もかなり厳しかった。クラスターの発生が懸念されていたのだろう。
検温やアルコール消毒の徹底はもちろんだが、特に警戒されていたのが人と人の距離だった。いわゆるソーシャルディスタンスだ。
スタッフ送迎用のバスは、必ず1人分の席を空けるようにして座る。これは映画館などでもよく見た光景だったが、バスに乗った際は必ず「乗車カード」を1枚もらわなければならなかった。この小さなカードに、日付・名前・座った席の番号を書くのがルールだった。コロナ陽性者が出てしまった場合に備え、濃厚接触者を明らかにするのが目的だったらしい。
ほかにも、作業場の一部エリアには大きなモニターが置かれており、人感センサーか何かが設置されていたのか、人との距離が半径2m以内になるとアラーム音が辺りに鳴り響いた。通行方向を促す矢印のシールも至るところに貼られていた。また、廊下は基本的に一方通行。大きなパーテーションがあちこちにそびえ立っていた。このパーテーションさえなければ通り道をもっとショートカットできるのに、と思ったことは少なくない。食堂ももちろんのこと、右・左・正面が厚手のビニールで仕切られていた。
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そんな場所で、私はおよそ9ヶ月間働いた。
そこにいた人々は、性別も年齢も国籍もばらばらだった。あの場所に流れ着くまでの詳しい事情を聞くようなことはあまりしなかったが、おそらく「ワケあり」な人が多かったのではないかと思う。
あの場所の“外”にいる人は、彼ら彼女らを一括りにして見下すことも少なくなかった。いかがなものかと思うような問題行動が目立つタイプがいたことは否めないけれど、あの場所の“中”に一定期間身を置いた立場としては、一括りに切り捨てられることに対して複雑な気持ちにもなる。
結果的に私は辞めているけれど、あの場所で働いたことを後悔はしていない。
どれだけワケありだろうと、楽しいと思える瞬間はあった。笑顔がふとこぼれる瞬間もあった。優しい人も、面白い人もいた。ひょんなことで会話が盛り上がることもあった。
あの場所はきっと、「はざま」のような空間だったのかもしれない。
おそらく、長い時間を過ごす場所ではない。日々にしがみつくために、ほんの少しだけ身を寄せる。関わるはずがなかった人の人生と、たまたま交差する。ほんの少しだけ。
そうしてまた、別々の道に進んでいく。
2mの距離があっても、分厚いビニールで隔てられていても、ほんの少しの人との関わりが、疲れていた心を確かに耕してくれた。自分のペースで、メンタルのリハビリを進めることができた。
私にとっては、次の場所へ羽ばたくための準備運動のような時間になったのだと思う。
そこは一見、無機質な巨大倉庫ではあったけれど、逆にその単調さや静けさが救いになった。凪いだ海のように感じられた。
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働き始めた当初はいい加減な気持ちだったのかもしれない。きっと、ゼロからさらに下回り、マイナスの世界をあてどなく漂っていた。
でも、だからこそ見えたものもある。ゼロでも、マイナスでも、そこで生きている人々は確かにいる。呼吸の仕方だって、人それぞれだ。
そんな視点を私にくれたあの場所のことを、この先も決して忘れたくはない。
短い時間ではあったけれど、あの場所で束の間共に働いた人々。
彼や彼女が、今日もどこかで元気に過ごしてくれていることを切に願う。
そうやってこの先も、出会う人々との関わりを大切にしていきたい。