高校2年生の冬、私は帰りの電車に飛び込もうとした。
部活を辞めた日の出来事だった。
当時は自分を責め続けていたが、辞めたのは正しい判断だったよと伝えてあげたい。
戦略的撤退とでも言おうか。

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退部の原因はたくさん思いつくが、単純に自分に合わない環境で無理をしすぎたからだと思う。
その諦めの悪さが自分の長所だったが、短所でもあった。

練習で休みのない日々に疲労が溜まり気がついたら成績もガタ落ち。
顧問、仲間、家族から咎められ、部活にも身が入らなくなるという悪循環に陥ってしまった。

毎日「消えてなくなってしまいたい」と泣きながら学校へ向かい、授業中は必死に眠気と戦い、放課後はしこたま怒られながら必死になって部活の練習をこなして帰っていた。

いつしか明日が来るのが怖くなり、ベッドに入れない日々が続いた。

その時点でさっさと辞めればよかったのだが、高校時代の健気な私は、実戦で落ちこぼれならば雑用係として自分の居場所を確立してやる!などと謎のやる気を起こし空回りを繰り返す始末だった。

ある日、練習でまた怒られたとき。
糸が切れるように「あ、やめよう」と思って、数日後に辞めてしまった。
突然の決断に仲間からは大きな反感を買い、裏切り者になった私は、高校最後の1年間を友達ゼロで過ごすことになる。

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そして冒頭の電車飛び込み未遂を起こすわけだ。

今まで頑張ってきたことが全てなくなってしまった。
部活に打ち込んでいたため部員以外の親しい友達はいないし、諦めないことが自分の長所で唯一誇れることだったのに、それすらも失ってしまった。

自分を責める言葉ばかりが思い浮かんで頭はぼんやりとし、
いつの間にかホームの黄色い線を越えて進んでいた。
あと数秒電車が来るのが遅かったら本当に線路に落ちていたかもしれない、と今でも考える。
誰もいない駅のホームで、たった一人で立ち尽くしていた。

そんな自分でも今こうやってなんとか生きていて、嫌々ながらも通勤して働いているのだから不思議な話だ。

立ち直るには時間がかかる。
いまだに部活で怒られた光景と当時の心境がフラッシュバックして立ち上がれなくなることがある。
一生続くのかもしれないと思う。
誰も本当の意味では助けてくれないから自分で自分を拾い上げていくしかない。
最後に頼れるのは結局自分だ。他人には全ては理解できない。

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それでも手を貸してくれる人はいるし、自分を拾う手段を一緒に探してくれる人も必ずいる。
一度絶望したからこそわかる人の痛みもある。
そのことを忘れず、弱い自分を抱えながら、自分を肯定できるようになるのが私の目標だ。
目標達成はまだまだ先になりそうだが、死ぬ時に悪くない人生だったと思えたらそれでいい。それがいい。

部活を辞めた後のこと、私が自分を拾い上げた方法。
気が向いたらまた投稿しようと思う。

もし、当時の私と同じように何かに絶望している誰かがいるなら、戦略的撤退をしてみるのもいいよ、と伝えたい
目の前の景色だけが全てじゃないよ。君には他の魅力もたくさんあるよ。
綺麗事ではあるが、事実だから信じてもらって大丈夫。断言しよう。

今辛いのは戦っているからだ。また立ちあがろうとするからだ。
もう一度立ち上がるために必要な撤退は、負けではないのだ。