ロールモデルがいたらいいのにな、といわゆる“フツー”の人生のルートから大幅に外れて生きている人間としては思う。それはもう、頻繁に。
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だってどうしたらいいのか、わからないのだ。雑誌も既婚かシングルか問わず基本的に子どもがいる人向けのものが多いし、そうでなければ独身で生きていくには、貯金は、投資は、みたいなものであふれている。
ずっと都市圏に住んでいる割にリスキリングを実際にやっている人も知らないし、フルタイムの人の勉強時間の確保の仕方を見ても参考にはならない。
料理はパートナーに任せているし、洗濯機と乾燥機と食洗機とロボット掃除機があって、そんなに仕事もしていない。その意味では自分に自信がない。この生き方でいい、と自分では思えていない、気がする。
子どもを産めば、最低18年は産んだ子というものと対峙してあれこれ世話をしたり、学校行事だおたふくかぜだ給食当番だお弁当だ、PTAをやって部活の道具を買って、今ならタブレットやパソコンを与えてプログラミングを習わせて……とあっという間に人生が進むのだろう。でも、子どもはいない。
同年代の女性が出産をするかどうか悩んだり、結婚相手を探したり、仕事に集中したり(おそらく)しているのに、わたしはなにもしていない。結婚は少し前にしたし、子どもは産まないと決めているし、仕事はいまのところ、時々こうやって文章を書いたりするくらいで、バリバリ働いてもいない。
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自分以外にそんな人に出会ったことがない。有閑マダム的にお金と時間を持て余しているわけでもないし、かといって子育てで今は遊べない!というわけでもない。そんな人向けの雑誌はないし、キラキラしたSNSにそんな人はいない。似たような人がいないことに、案外人は不安を覚えるらしい。
近々ペットを迎えるから命の責任を持つことにはなるけれど、人間の子どもに比べれば、きっと大したことないんだろう。
ロールモデルやメンターがいないのは本当にここ数年の悩みで、かといって自分がロールモデルになる!と思えるほどなにか実績があるわけではない。普通であれば、こんな悩みもなかっただろう──健全な家庭に育って、学歴や資格を手に入れ、自活し、仕事に邁進するなり結婚出産をするなり、あるいはIターンをして地方で生きるなり、思うように人生を設計していけるのだろう、と思ってしまう。
幼い頃から抱えていた希死念慮の影響で、自分に未来があると考えて行動するとか、将来設計をするとか、そういったことがどうしてもできない。
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憧れの女性は具体的にはいない。強いていえば、やはりフルタイムで働き趣味も充実、DINKSでマンションを購入し犬を飼っていて、休みは海外旅行……というぼんやりしたものになってしまう。
フルタイムへの憧れが消えないのは、正社員だった期間が短いということと、女子も働くことが当たり前になって長いという世代的なこともあるだろうし、パート主婦だった母親への嫌悪もある。現在進行形でパートタイムの人に失礼かもしれないが。
自己実現、とか、自分の代替不可能性、なんて求めても無駄だと思うし、人生をコンテンツにしてしまったらずっと小爆発を起こしながら生きていくしかない。概念だとしても事件事故をわざわざ起こすなんて嫌だし、ただでさえこんなにややこしい属性を抱えているのだから、できれば平坦な人生がいい。
だから今は、ひとつひとつ過去を解体して、過去の自分を受け止めて休ませ、いまの自分をできるだけ安らかに保って、できる範囲で仕事をし、趣味を楽しみ、夫とペットのいる家庭を気持ちよく過ごしやすく工夫する──のが、わたしにできることなのではないかと思う。その先にロールモデルが見つかるか、自分がロールモデルになると決められるかは、まだ見えていないけれど。