高校1年の夏、私は大阪にいた。当時所属していた部活の研修で1泊2日の滞在だった。

私は関東の出身で、それまで大阪には中学生の修学旅行で一瞬だけ通ったぐらいの関わりしか無かった。

だが、当時の私は大阪を本当に憎んでいた。一人称を「うち」と言っただけで母親に殴られ、大阪出身のクラスメイトの前でうっかり関西弁を出した時には「大阪ナメてんとちゃうぞ、○ねや」とキレられたことがある。まぁ、そこそこ逆恨みだ。

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今でも覚えている大阪1日目の午後6時。私は電車の中で1人静かに泣いていた。パニックを起こしていたのだ。聞こえてくる言葉のイントネーションが関西弁のそれだし、電車の優先席の配色が東京の電車と全く違う。ただ、何よりも研修に参加していたメンバーが良くなかった。

同級生は私を含めて5名。そのうち、4名は内部生。そう、私は中高一貫校に入学した外部生であり、部活内では「ぼっち」だったのである。とは言っても内部生の4名は私と普通に接してくれていたのだが、馴染めていないとひしひしと感じる温度感がそこにはまだあったのだ。

夜、同級生5名は同じホステルの1室に泊まった。確か室内にはカーテン付きの2段ベッドが2台と布団1式があったような気がする。どう決めたかは一切覚えていないが、私は無事にカーテン付きの2段ベッドの1つを確保できた。
早めに寝る準備を整え、私はカーテンを閉める。私はこの日、1番楽しみにしていたことがあった。それはラジオだ。小型のラジオ付きボイスレコーダーを秘密裏に持ってきていた私はイヤホンをそれにし、音を立てないよう注意しながらラジオの録音を準備した。

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いつも聞いていた中高生向けのラジオ番組。その日のラジオのゲストは女王蜂のアヴちゃんだった。そういえばアヴちゃんの出身地も関西の方だったなと思いを馳せながら、でも聞き心地の良いトークに耳をませていた。
この番組中、私は自分の人生で最も衝撃的な言葉に出会う。

「人生はソロ活動です」

誰かのお便りに対して答えたアヴちゃんのその回答は、当時の私の状況にあまりにも当てはまっていた。運命だと思った。

「1人同士が集まって何かやることは楽しいですが、いつかは解散の時が来ます。1人同士が集まって楽しいなって思いながら1人でいると、もっと楽しいと思えようになります」

そうだ。今日の私はとにかく大阪という地を怖がりすぎて、ずっと1人で恐れていたのだ。周りには同級生4名がいたのにもわらず、私はただただ1人でいた。しかし、その4名も1人同士が集まって4人のグループになっていたのだ。
自分は外部生だからなんだ。みんな元々は1人だったはずなのである。だったら4人が5人になったってたいして変わらないだろう。1人でいたって、みんなでいたって楽しものは楽しい。放送が終わった頃には、明日は私から同級生のあの子に話しかけてみようかな、なんて少し浮かれることができた。
こうして1人が寂しいと感じた大阪の地で、私は「1人でも楽しい」と思える夜を過ごせたのだった。

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翌日は同級生5名で研修を終えることができた。わずかばかりではあったが、大阪を楽しむことができたと思う。
今でも旅先で聞いた「人生はソロ活動」という言葉は私の人生を支え続けてくれている。