私は、父に“幸せ”になってもらいたい。

人の幸せを他者が計るべきでないことは、重々承知の上ではあるが、私の目に、父は幸せそうには見えないのである。ただ自由に、全てから解放されて欲しい。

私の両親は物心ついた頃から会話がなく、「冷戦状態」だった

父と私の仲は、悪くも良くもない。娘と父なんて所詮そんなものだろう。しかし、父と母の仲は、私が物心ついた頃から良くはなかった。それは、交わることのない冷戦状態であり、よくある子供が繋ぎ止めた夫婦関係である。そして、それは責任に縛られた毎日であった。

私には、5歳年の離れた弟がいる。私達は父と母が会話するところを見たことがない。2人のコミュニケーションのやりとりは、いつも私達が間に入り担っていた。

しかし、そんな家族関係もいきなり終わりを告げた。コロナ禍になり、母は家を出た。家族には、一切相談は無かった。これにて呆気なく、長く続いた2人の冷戦に終止符が打たれた。

そんな中、弟が成人した。母はただひたすらに子供たちが大人になるのを待っていたのだろう。母である責任を果たす日を。あれから約1年経つが、たまに会う母はとても幸せそうだ。全てから解放された彼女は、自由に舞う蝶のようだった。

両親は離婚し、母はとても幸せそうだったが、父はどうだろうか?

一方で、父はどうだろう。以前にも増して仕事量が増えた。朝8時に家を出て、夜日付をまたいで帰宅。ご飯を食べ、風呂に入ったと思えば、そこからパソコンを鞄から取り出し、仕事を始める。就寝は深夜3時から4時頃になる。そして、朝7時半には起きる日々の繰り返しである。

こんな生活の中で、幸せを感じることは可能なのだろうか。父は、毎日どんな気持ちで過ごしているのだろうか。しかも、ここに子供への責任まで考えているなんてことがあれば、父は押し潰されてしまうのではないかと思う。

私は娘として、父の負担になりたいとは思わない。だから、父には、あなたの子供達は成人し、立派に大人になったと伝えたい。

父から見れば、私は手ぶらで社会に出て行くような子供にしか見えていないのかもしれない。それでも、信じて手放して欲しい。もう子供に対する責任から解放されて欲しい。母のように、父も自由の身になって欲しい。他人に依存することのない、自分自身の幸せを追って欲しい。

私は父のもとを立つことで、父の「負担」を減らすことを選ぶ

私は父からも母からも愛されてないなんて思っていない。むしろ、ここまで育ててもらったことに感謝している。

しかし、どうしても私が2人夫婦の“我慢の存在”であったということを消せずにいる。今更、仲の良い両親に育てられたかったなどは思わない。

ただ、2人を見ていて、結婚に対する淡い期待も夢も今は持てない。私達は、家族として機能していなかったかもしれない。それでも、それぞれが自立し、それぞれが思い描く未来に歩んでゆけたらと思う。私は自分なりの“幸せ”に必死に食らいついていこうと思う。

私は父のもとを立つことで、父の負担を減らすことを選ぶことにする。だから、父には少し自分勝手に、少しづつに自由に、自分だけの人生を歩んで行って欲しい。どうか、お“幸せ”に。