私は小学生の頃から某アイドルのヲタクをしている。きっかけはドラマに出ていた彼を見つけたこと。今となってはなんでそこまでときめいたのか分からないし、あの衝撃から10年以上、彼を応援することになるとは思ってもなかったよね、小学生の私。

びっくりすると思うけど、20代後半になっても元気にヲタクをしています。
ここまでの文章を見る限り、楽しそうな人生を語りそうではあるが、残念ながらそんなことはない。

なぜなら、人生の中で最もキラキラしていているけど人生の分岐点でもある20代後半だからだ。
私のインスタのストーリーは、婚約やら結婚やら、同棲始めました、などなど、現実世界のキラキラストーリーが散りばめられている。
私にはこのキラキラが、ガラスの破片のように降り注いできて、胸をチクチク刺してくる。
学生の頃は、「推しと結婚する!」「推ししか愛せない!」なんて騒いでたこともあるが、20代後半となった今、そんなことは言っていられないし、発信することに躊躇ってしまう。

◎          ◎

本心はずっとこの気持ちは変わらないのに、現実がそうさせてくれないのだ。
とはいえ、私だって人並みに恋愛はしてきた。学生の頃は彼氏もいたし、それなりに出会いもあったのに、いつからこんなに周りとの差がひらいてしまったのだろうか。
明確には分からないが、確かにヲタ活にエンジンがかかったきっかけは猛烈に覚えている。

大学生の頃、一目惚れしたサークルの先輩と付き合うことが出来たのだが、初めてのお酒、初めての夜遊び、色んな誘惑から自分を保てず、サークルの先輩にたくさん迷惑をかけてしまった。案の定、振られてしまうのだが、これがクリスマス直前。
当然先輩と過ごすと思っていた私は、クリスマスを空けていた。推しの初ドーム公演の日だったのに。

当たり前のように、ドーム公演には行けず、大好きだった先輩とも過ごすことは許されなかったこの年に、心の中でヲタ活に対するギアが入ったのが分かった。

こんなに後悔するなら、どんな理由があっても優先順位は推しが1位であるべき。と、決意してから、今まで以上にヲタ活にのめり込んだ。

完全に意気消沈していた時に、推しという希望があったのは、良い事だと思ってたけど、今となっては本当にこれでよかったのか?と、疑ってしまうときもあって。
今までのように推し活を楽しめない自分が苦しくてもがいているが、この苦しみから開放されるのはまだ先なのかもしれない。

◎          ◎

話を戻すと、20代前半で飛び込んだ、このヲタ活の世界はとんでもなく輝いていた。
ファンの女の子達は、大好きな推しに会うために可愛く自分を着飾り、文字通りキラキラしていた。
すれ違う度にいい匂いがするきれいなお姉さんだったり、モデルさん?って疑うくらいスタイルがいい同い年の子だったり。

今まで生きてた世界とはまるで違う世界に迷いこんでしまった、ド田舎女は「ここの世界で生きるには、まず見た目を何とかしなくては」と、美容やファッションに目覚める。
これは今となっては良かったことではあるけど、お金がかかりすぎている点では、日頃の悩みの種であるのは間違いない。

更には、この時憧れてたお姉さん達の年齢に差し掛かっているであろう、今の私は誰かの憧れになれているのだろうか。なんて、くだらない悩みも私の心をチクチク虐めてきたりする。

例に習って、私も死ぬほど努力と研究を重ね、推しに会うための鎧をゲットしていくのだが、よく母に「誰にも見せないのにそんなに化粧してどこ行くの?」と言われる。「母よ。これは同担に向けてのマウントなのだよ」なんて伝えたところで到底理解できないであろう考えなことも、分かっているが辞められない。もはや、依存なのである。

推しという非現実に依存して、現実から逃げ回った先には、果たして本当の幸せはあるのだろうか。