部活で活躍したい
勉強で良い成績を取りたい
芸能人になりたい
誇れる仕事に就きたい
誰かに愛されたい、愛したい

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私は小さい頃からたくさんの夢と目標を持って生きてきた。
何もない自分はダメだ、ただ生きているだけではダメだと多くのことを自分に課して生きてきた。

しかし私は要領が良い方ではないため、うまくいかないことばかりだった。

部活で好成績を残すことができなかった、目標とする大学に入れなかった、芸能人になることはできなかった、そして現在も夢であった業界の仕事に就くことはできたものの思い描いていたような活躍はできておらず、うまくいっているとは言えない。

失敗する度にやっぱりダメだ、私は欲張ってはいけない人間だ、いい加減諦めなければいけないのではないか、そう落ち込むけれど、それでも私は今の今まで諦めきれていない。
まだまだ私は向上していかなければならない、向上していきたい。
本気でそう思う。

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生きているだけで立派だとも心から思うが、私がなぜここまで向上したいと思うのか、生き急ぎすぎているのではないか、自分でも不思議に思うこともあったので自分なりに考えてみた。

行き着いたのは「生きる意味を探したい」からだった。
なぜ生きる意味を探したいのか。
たぶん、「生きていてよかった」そう心から思いたいからだ。
そして私はそう思えずにいた。

私の家族は仲が良い方ではなかった。
絶望的に仲が悪いというわけではなかったが、家族が大好き、と言えるほどの仲の良さではなかった。

今でも関係が良くなることはなく、むしろ悪化しているように感じる。
そして、私は両親から愛を感じることが難しかった。

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お姉ちゃんと妹ばかり優先されている気がする、私のことをきちんと見てくれていない気がする、私はいるようでいない存在だと思うことが多かった。
不自由なく過ごすことができたし大学にも行かせてくれたし、今の私の仕事の活動を聞いて喜んでくれたりもする。

きっと愛されていないわけではないと思う。
それでも子供の頃から愛を感じたくて寂しくて仕方なかった。
深い愛を私は知らないから生きていて良かったと思いたいのだろう、生きていて良かったと小さい頃から思えなかったのだろうと思う。

そうやって生きてきて25年目、私はある人と出会った。
私より2個上の男性だった。
人の命を救う立場の人だったが、私は期せずして心も救われた。
しっかり目を見て私の話を聞いてくれた、細かいところの気遣いを心地良いと思った、私と向き合ってくれていると信じることができた。

その人はいつものように職務を全うし、私を数多く会う中の一人として接してくれただけだった。ただそこにいてくれただけだった。
それでも私は、この人に自分の存在を認めてもらえたように感じてしまった。
ああ、この人に出会うことができてよかった、生きてきてよかった。
自分でもびっくりした。「生きてきてよかった」本当にそう思えたのだ。

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この人に出会うまでに私は数多くの選択をしてきた。

そしてその数多くの選択のどれか一つでも違う方を選んでいたらこの出会いはなかったかもしれない。

もしあの日先生がいる病院を選ぶとき家の近くの病院を選んでいたら…
仕事に行く前に家の近くの病院に行くことを選んでいたら…
前日に病院に行くことを選んでいたら…
そもそもこの仕事に就いていなかったら…
あの時今の仕事を辞めることを決意していたら…

私が失敗知らずの幸福に包まれた人間だったらこの人の良さに気付けなかったかもしれない。

私が幸せな家庭に生まれていたら家を出たいという感情も生まれずこの人と出会った土地に来ることもなかったかもしれない。
もっと辿ればこの人が生きているこの時代に生まれていなかったら私はどんな選択をしようとも彼と出会うことができなかったかもしれない。
とにかく様々なタラレバが浮かび、私は初めて自分が自分であることに感謝した。
この時代に私として生きてきてよかった。

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小さい頃から夢と目標を持って生きてきた私だったからこの出逢いを果たすことができた。
この出逢いに喜びと感謝の気持ちを持つことができた。
私の夢の本質である「生きていてよかった」と思いたいという願いを叶えることができた。

失敗続きで夢に希望を持てなくなることがあるかもしれない。
最終的に叶わなかった夢もあるかもしれない。
しかし、どんな夢でも夢を持つことに意味があって、その夢はきっといつか奇跡を運んできてくれる。
夢は私を変えてくれるのだ。