「感染症が発生したらしい」「外出は控えろだって」「新入社員は自宅待機に」「オンライン会議をやってみよう」。2020年、全ての前置きに『よく分からないけど、』がついた春、私達は社会人になった。

社会人になってからも、学生時代の友人とはよくグループ通話をしていた。新入社員の歓迎会も、同期の絆も絵空事。何もかもが想像と違っていた社会人生活の始まりを、なんとか乗り越えようとしていた。

そんな通話のなかで、ある友人が彼氏への不安を口にするようになった。

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彼女は大学を卒業後、研修のため東京から大阪に飛んでいた。馴染みのない土地で初のひとり暮らしを開始し、半年後、さらに縁のない仙台で社会人生活をスタートさせた。コロナ禍での就職、重なる転居、誰も知らない場所でのひとり暮らし。孤独だったと思う。

唯一そばにいたのが、研修中に出会ったという彼氏だった。晴れて同じ拠点に配属された彼氏に、彼女は依存するようになったのだ。

毎日の通話のなかで、度々彼氏への不安を口する。そもそも人間関係において、渦中の片一方からだけ話を聞くのは得策ではない。語られる彼氏像があんまりにも頼りなくて、彼女の将来すら不安になるものだったから、私達は「そんな奴とは別れな。幸せになれるわけがない」と批判しすぎたのだろう。

否定されて彼女はモヤモヤ、愚痴を聞かされる私達はイライラ。さすがにピリつく空気を察したのか、彼女は通話に現れなくなった。そして2週間後、Twitterで病み垢を立ち上げる。

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病み垢と呼ぶらしい裏アカウントでは、彼女の脳内がごちゃまぜに展開されていた。彼氏への不安はもちろん、交際2年で浮気された元彼とその相手への執念まで。思うがままに吐き出される言葉が、混乱しているようにも見えて痛々しい。

特に心配だったのは、彼氏の行動を拡大解釈したようなノロケだった。私の目には、見たくないものに必死に蓋をする彼女の姿が見える。

始めこそ友人が見ていることを自覚している口調だったが、彼女の首に巻かれた鎖はだんだん解かれていった。第三者の目線を気にしなくなった言葉は、ポジティブにもネガティブにも鋭さを増す。

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フォローから2週間が経ったある日、自分自身のある変化に気づいた。

日ごとに過激さを増す彼女の言葉を、気がつけば食い入るように待っている自分がいたのだ。『他人に話すフィルター』を通さない生身の感情が新鮮で、魅了されていたのだと思う。ほとんど恍惚に近かった。我を忘れてのめり込んだ。毎日毎日タイムラインを更新して、激情をはらんでいなければ肩透かしを食らった気になった。

頭の片隅では、友人が苦しむ姿を愉しみにするなんて、と声がする。しかし、やめられなかった。脳内麻薬って言葉があるけれど、きっとこんな感じなんだろう。もっともっと、もっと生々しい話が聞きたい。

幸せを願う気持ちは本心であるはずなのに、彼女の行く末が愉しみでたまらない。この心情は間違いなく、野次馬根性とシャーデンフロイデ、「人の不幸は蜜の味」と言われる感情だった。私達は芸能人のゴシップでさえ気になってしまうのに、当事者がよく知る友人だなんて全ての意識を持っていかれてしまった。脳内で銅鑼でも鳴らされているみたいに、どうやっても意識を制御できない。

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フォローからひと月が経ったある日、じわりじわりと性格を歪めた欲望を、封じ込めることにした。野次馬根性よりも友人としての人格が上回る日が、突然やってきたのだ。急に熱が冷めたように冷静さを取り戻す。何かに取り憑かれていたような恍惚と、友人と過ごしたはずの時間。彼女の笑顔と優しさ。これからの私達。

静かな混乱のなかで、スマホの画面に手を伸ばした。やるなら今しかない。勢いのままにやってしまえ。『~さんをブロックする』『~さんのブロックを解除』

一度深呼吸をして、鍵垢だった彼女のツイートが見られないことを確認した。たった2タップ、これで終わり。全部忘れよう。脳にこびりついて離れないだろうけど、忘れる努力をしよう。そして、何もなかった顔をして、私は彼女の前に立とう。

この出来事から2年が経ち、彼女は別の男と結婚した。ライフステージが変われど、友人関係は続いている。できることなら末永く、友人として楽しい時間を過ごしたい。しかし、あの時感じた煮えたぎるようなドロドロを、白状できる日はきっと来ない。