ポリアモリーと呼ばれる人々をご存じだろうか。端的に説明するならば、ポリアモリーとはズバリ「複数名の人間と同時に恋愛関係を持つ」という恋愛スタイルのことを指す。しかしこれだけ聞くと、単なる浮気性ではないかと誤解されがちなのが辛いところである。

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極力誤解のないよう最大限に配慮して説明するならば、上記の説明だけではとても事足りない。より正確に説明するならこんなところだ。「関与する全てのパートナーの同意を得た上で、複数名のパートナーとの恋愛関係あるいはそれに準ずる親密な関係性を持続させる」。

また恋愛関係と一口に言っても、セックスがそこに含まれるか否かは人それぞれである。関係する全員と性的関係を持ちたいと願うポリアモリーもいれば、あくまでプラトニックな関係性のまま、精神的なつながりを持つことを強く求めるポリアモリーもいる。また、これはもちろん一概には言えないが、前者のタイプはどちらかというと海外に多いとも言われている。

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ポリアモリーについて、このように言葉を尽くして説明を重ねるのは実際、とても難しい。どのような表現を用いようとも、結局は”浮気性”と何ら変わらないのではないか。特に固定観念の強い傾向のある日本人には、結局その一言で片づけられがちである。

それでも私がこうして言葉を尽くすのは、やはりポリアモリーについてきちんと知りたい、そして多くの人に知って欲しいという思いがあるからだ。ポリアモリーを自認する友人がいて、彼女のことをより正しく理解しておきたいと願う気持ちがあるからだ。

万一の特定を避けるため、彼女の事例についてここで詳細に語ることはやめておく。ただ一つ友人として明言できるのは、彼女は”恋人たち”とのあいだに築いた一つ一つの関係性に対し、明確な誠意をもって立ち回っていた、ということだ。”恋人たち”に対する誠意!そんなことがはたして可能なのだろうか。

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たしかに「誠意」とは、あるいはポリアメリーという恋愛スタイルに最もそぐわない言葉なのかもしれない。私欲を離れて至極真面目にものごとに対応する心や態度の在り様、それこそが誠意なのだから。

しかし今思い起こしてもやはり、彼女の行動の一つ一つには愛する人に対する真摯な思いやりが常ににじんでいたと、私は思う。これはあるいは友人の欲目も含まれているのかもしれない。ただ私の知る限り、彼女が”ポリアモリーであるために”恋人と揉めたことは一度たりともなかった。これはおそらく、彼女が付き合いを始める前段階で「自分がポリアモリーであること」や「その上でこの関係性を大切にしていきたいこと」を相手に伝えることを絶対に怠らなかったために他ならないのではないかと思う。

相手を大切にしたいという心をきちんと持ち合わせている人の言葉は、声は、目は、やはり空虚なものではなく、こちらの内面に直接届くようなどこか繊細な響きを宿している。単純に”優しい”というのとはまた違う。優しさは、場合によっては瞬時に”偽善”に変わり得る。偽善を全く含まない優しさを持つのは至難の業だ。そんな優しさを何の下心なしに持てるようになることこそが、もしかしたら私たちの目指すべき人間性の最高地点なのではないだろうか。

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ポリアモリーを批判する人、また批判まではしないが到底理解できかねると主張する人は多い。たしかに恋人を複数持つという、いわゆる”普通”を大きく外れた価値観を受け入れられない人がいるのは、ある意味では”仕方のないこと”なのかもしれない。

ただ、”ポリアモリーだから”誠実さなど持ち得ないと断定し、じっくり心で判断することなく即座に危険色のレッテルを貼ろうとすることだけはどうかしないでほしい。誠意を相手に求める資格があるのは、本当の意味での誠実さを持ち合わせている人間だけなのではないだろうか。

相手を正しく知らずして、相手を正確に語ること、そして理解することは絶対にできない。多くの恋人を持つ人を持つ人間を批判するだけの誠実さと正しい目を、はたして自分は持ち合わせているだろうか。これはこと恋愛に限った話ではない。他人との関係を築く上で、他ならぬ自分に誠実さを問い続ける姿勢を常に持ち続けていたいものだ。