私にとってお酒を飲むことは自傷行為に近い。
身体に悪いと知っていながら、こんなに飲んだら明日の朝辛いと分かっていながら、それでも飲んでしまう。

お酒を買うお金を他のこと、もっと有意義で自分のためになることに使えばいいのに買ってしまう。

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ハイボール24缶ケースを買ったこの数千円は、欲しいと思っているアイシャドウとほぼ同額だし、先週と今週の代金を合わせれば疲れを癒すためのマッサージにもいけた。

お酒は太るし臓器にダメージを与えるし、記憶力も落ちるし二日酔いになれば翌日の仕事にも影響がでる。

悪いところをあげればキリがない。

そんなふうにお酒の悪いところや財布へのダメージをあげつらって、絶対に良くない、もうやめようと思いながらそれでもプルトップを開けるとき。
後悔の足音を感じ取りながら不思議と少し安心している自分がいる。

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お酒の悪いところばかりあげてしまったけれど、人とお酒を飲んでいる時はただ楽しく、人見知りの自分にとって会話を弾ませてくれる緩衝材のような役目を果たしてくれる頼もしい味方でもある。
友達も皆お酒をよく飲む方だし、実際にお酒を飲みながら語り合った思い出は失敗談も込みで良いものとして残っている。

そんなお酒が、どうして家で1人でいる時はただ自分を傷つけるためだけのもののようになってしまうのだろうか。
まるで外面は最高で誰とでも仲良くできて評判も良いのに、家では冷たい言葉となりふり構わない拳で傷つけてくる恋人のようだ。

どこで誰といつどんなシチュエーションで飲んだとしてもお酒の性質自体は変わらないのだから、お酒をそんな風にさせてしまっているのは私の方なのだけど。

「後悔するだろう」と思いながらお酒を飲んで、翌朝にお酒を飲んだことを後悔して、「ほらやっぱりね」と思っている自分は、ある意味で絶対に期待を裏切られないことに安心しているのだと思う。

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DVをしてくる恋人に対して「この人には私しかいないんだから」と間違った使命感でもって不条理な状況と自分を納得させてしまうように、あらゆることが予測できない、思い通りにいかない日常の中で、例え心も臓器もボロボロになったとしても安心感を与えてくれるお酒から離れられないでいる。

そんな私を救ってくれたのが健康心理学者のKelly McGonigal(ケリー・マクゴニガル)という人がGoogle社で行った講演内容にあった、「後悔すると依存しやすくなる」という研究結果だ。

これまでどれだけやめたくてもやめられないのは自分の意志が弱くダメな人間だからだと思っていたけれど、その自責の念が返ってまたその行為を繰り返してしまう依存のサイクルを生み出すらしい。

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自分を律するためにしていたことが、裏目に出てしまうということに最初は落ち込んだけれど、自分を責めるよりも励ます方が効果的だというすぐにでも始められそうなアプローチを知って心が楽になった。

だからすぐにはきっとお酒との距離を開けられないかもしれないけれど、まず自分との距離感を考え直してみようと思う。
お酒を飲むのは自傷行為だと思っていたけれど、実際自分を誰より傷つけていたのはお酒ではなく自分自身だったと気付いたから。

恋人の愚痴に根気強く付き合ってくれる友達のように自分と接してみようと思う。

自分とうまく付き合えた時、1人の時もお酒とももっとうまく付き合えるようになるかもしれない。
少しの希望を胸に抱いて、私は溜まりに溜まった空き缶を捨てに行く。