「すきになったきっかけって、なんだったの……?」
結婚する理由はなんども、なんども聞かれて答えたけれど、すきになったきっかけを聞かれることは、そんなになかったように思う。だから、ちょっとだけ、悩んだ。
中学校からの、大切な友だち4人に聞かれてしまっては、ごまかすこともできないし、その必要もない。私はお酒をのみながら、記憶を手繰る。
「できないことは、できるようになろうって、言われたから、かな」
その言葉がなかったら、すきになっていなかったかもしれないし、結婚もしていなかったかもしれない。私にとっては、私と先輩の関係性の、はじまりの言葉。
懐かしい、大学時代の先輩は、今と変わらずに青いカーディガンを着ている。
そういう団体に所属していたから、作家へのインタビューをする機会があった。大学生だった。一緒にインタビューする先輩は、そういったことに慣れているようにみえる。その一方、私はそういう会話が苦手だったし、すぐに緊張するような人間だった。
「こういうインタビューとか、知らないひとと話すの、めちゃくちゃに苦手なんですよ…」
と正直に告げると、あはは、と無責任に先輩は笑う。コーヒーを飲む。
「先輩よろしく頼みましたよ……」
と無責任に頼む私に、先輩は、いやいやいや、と笑う。
「できないことは、できるようになろう。ほら、そしたら、なんでもできる。最強」
さあ、インタビューの原稿考えるよ、と先輩は言った。
結構無茶言う先輩だな、と思った。そのときは、そうですね、と言って一緒に原稿を書いていた。
興味があることなら、できなくてもやってみてよかったんだ
家に帰ってから、ふと思った。できないことは、できるようになろう……?
そういう考えを、私はしたことがなくて、思わずびっくりした。今までは興味があっても、無理そうなものや難しそうなものは、なるべく避けていた。
高校生のとき、大学は建築系に入りたかったけれど、どうしても数学が苦手で、だから物理も無理だろうと思って、生物を選択して農学系に入った。また、絵をかくことがすきだけれど、それで収益を出すのは難しいだろうと思っていた。立派な構造物も美しい絵も、私じゃない誰かが生み出すからいいやと、あきらめていた。
そうじゃなかったのだ。たとえ私ができなくても、他のひとができるからそのひとに任せよう、ではなくて、興味があることなら、もしできなくても私がやってみてよかったのだ。だって、やっていたらいつかできるようになるかもしれない。そう思えた。
やってみたら、思いのほかできた。
就職先は建設業界の技術職で、設計のために構造力学やコンクリート工学をごりごりに使う。練習し続けていた絵は、個人販売で売れたし、グループ展にも参加した。
世界がひらけた気がした。できないことができるようになってから、さらにやりたいことやできないことが増え、もっともっと楽しくなった。
先輩は、私に言ったひとことなんて、覚えていないんだろうなって思う。それは別に残念とかかなしいとかではなくて、だって私は覚えている。大切に大切にして、奥底にいつも、しまってあるから、それでいい。
「名前で呼ぶの照れちゃって」「できないことはできるようになれよ!」
「話変わるんだけど」「あん?」
そんな感じかなあ、としめた私の言葉のあとに、友だちのひとりが言う。
「先輩はまだ、ふら子のこと苗字で呼ぶの?」「うん」
「名前で呼ぶのに照れちゃって?」「多分ね」
「はあ!?」「できないことは!!!」「できるようになれよ!!!」
4人そろって、乱暴にグラスを置く。
ちなみにその後、プリクラの落書きに「できないことはできるようになろう」って大きく書かれたし、結婚して2年後もまだ呼び方は変わっていなかったから、まったく同じやり取りをした。