2019年の1月、私にはいてもたっても頭から離れないほど大切な推しができた。今となっては毎週のようにテレビに出てくる彼ではあるが、実の姿は東大生で、クイズを趣味とする恋愛初心の、純粋な心を持ったインテリ青年だった。元々、クイズを行うグループとしてwebでの活動から始まり、YouTube配信をめたところ登録者数を一気に伸ばし、今や地上波への進出も果たした知る人ぞ知る人気YouTuberだ。

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私がこのグループの存在を知ったのは2017年。当時共通の知り合いがいた一人のメンバーがこのグループに所属していると知り、動画を見たのがきっかけだった。その頃は小さな事務所のスペースで、大学生同士がわいわい撮り合っているような素人感のあるもので、今のように自らオフィスを建てるようなこともなければ、音響やヘアメイクもいなかった。

ただ、その頃はなんかYouTubeやっているなぁ。と言う感覚で、存在は知っているが深追いはしないという、あくまでマニアックなコンテンツを一つ知った程度の認識であった。

その認識が変わったのが2019年。修論提出から口頭試問まで時間があり、暇つぶしに見始めたのがきっかけだった。するとそこには、共通の知人がいる人とは別の、理想の顔と言うべき推しの姿があった。透き通るほど白い肌、襟付きシャツとカーディガンを合わせた服装を好む上品さ、話し方から感じられる育ちの良さ、謙虚な振る舞い、その全てが、私の理想の姿であった。人は誰しも欠点を持ち少なからず嫌悪感を覚えるところがあるが、彼のことはどこ一つ、そうした感情が湧き出ることがなかった。

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そんな彼は繊細であるが故に病める人でもあった。自身も鬱であることを公表しているが、それとは別の病におかされていることは動画を見るとよく分かる。当事者ではなかったが、その病気について詳しく調べ、どのような治療をしているのか、薬を服用しているのか、症状はどうなのかを想像する。動画で発言したあの内容は、もしかして服薬と関係しているのか、普段の謙虚さとは対照的なあのテンションは、良い気分なのか。そんな想像を続ける。

他のファンからも時々、「欲しい、養いたい、飼いたい」と言うような、一般的には抱かない、支えたいというような意見が多々聞かれる。私もそのうちの一人であった。私はきっとこの中で誰よりも病状に詳しいから、そうした方々と接してきた経験があるから、誰よりもそばで支える権利がある。そんな変な妄想までしてしまった。

当時はまだ事務所に所属していなかったとはいえ有名人だったからリアコではなかったが、頭の中で一番考えていたのはその推しのことであった。就職浪人生活を乗り越えることができたのも、推しのお陰であった。27歳で無職という状況はつらい。けれど、ここで命を絶ってしまったら、推しに会えなくなってしまう。絶望的な人生に明日を保証してくれたのは、紛れもなく推しであった。

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9月に大学院を修了し、コロナ禍に突入した2020年の採用試験に合格したが、経済的な話をすると私の手元にあったのはおじが修了祝いにくれた3万円のみで、一時給付金とわずかに残っていた2万円ほどの残金は結果が出るまで手を付けずにいた。そんな時、無銭の私に無料で娯楽を提供してくれたのは、推しの所属するグループの運営するYouTubeであった。

その動画を見ることが、当時の唯一の娯楽だった。だから今の職場に就職を決めたのも我々の育った県で県民のために働くという目標があったからで、第一志望に内定した際はとにかく我々の仲間のために働けることが嬉しかった。そして就職してからも時々、我々の世代の栃木県民としてよく同期に紹介した。

そんな推しは2022年に同業種の女性と結婚した。それ以前からコンタクトにしたり服を新調したり一気に垢抜けた部分があり、なんとなくそんな気配はしていたが、実際に発表したときは驚いたと同時に、少し遠くへ行ってしまったような気がしていた。けれどもこれも私にとっては試練であったと思う。現在では昔のように支えたいというような感情は抱かなくなった(売れるようになったのもあるが)が、出演する番組は全て視聴している。

また、生きる世界が違うゆえにいつか推し中心の生活から卒業しなくてはならないことは分かっていた。

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歳29にして、向こうが区切りを付ける形でようやくその生活に終止符を打つことができた。そして現在、自身のアイデンティティを消失して1年と少しが経とうとしている。当初は恋愛に対する焦りがあったが、今ではまた持ち前の知的好奇心から積極的に新たな発見に向けて動き出したところだ。 

推しを見つけてその推しを手放す。そして普段の生活に戻る。そのとき現れたのもまた、普段の知的好奇心旺盛のありのままの私であった。