泣きながらひとりで帰ることをやめたい。ただ、友達とどうでもいいことを話して、遊びながら通学路を歩きたい。小学校高学年、自分が大嫌いで地獄みたいだった2年間。拒食症になり、体重という数字に囚われるようになったと同時に、人との関わり方も、好きだった趣味も、楽しいという感情も、全てが消えてしまった。太った自分が嫌いで、痩せたら今より少しは自分のことを好きになれるとそう始めたことなのに、痩せれば痩せるほどさらに自分のことは大嫌いになるし、友達は離れていった。大嫌いな自分として生きるのに精一杯で、人を思いやる余裕なんてものは無く、沢山の人を無意識に傷つけてしまっていたんだと思う。
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中学生になっても相変わらず自分のことは嫌いだし、拒食症の次は過食症になった。体重、成績の順位、部活の大会の順位、あらゆる数字が私の価値を決めつけてくるようで怖かった。
いつから物事から自分自身のことまで、数字で全てを測るようになってしまったんだろうか。今思えば、その数字が決まるまでの過程の中に大切な思い出がたくさんある。自分が自分を嫌いな分、他人からは良く思われたくて、認められたくて必死だったその時の自分には、大人に1番伝わりやすい数字が、自分を説明するときに必要だと思い込んでいたんだろう。
数字に囚われ葛藤する苦しい日々で、私はひとつに縛っていた髪を切った。顎くらいまでの長さの、綺麗なボブにした。私の髪は、細くて、柔らかくて、光を通して、指ですくと涼しい小さな音がして、愛おしいと思えた。初めて自分が愛おしかった。変わりたいともがく中での何気ないこの行動は、大嫌いな自分の中に、小さな「好きな自分」の部分を作ってくれた。この日から私は少しずつ、楽に生きられるようになった。
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自分の愛おしいところをもっと見つけたい。そう思って行う行動は、これまでみたいに自分を苦しめることが無かった。見つけた私に似合うアイシャドウの色、リップ、髪型、これら全てに点数なんか付けられないからだ。当たり前のことだけど、あの頃の辛かった日々を生きる自分は気づけなかった。自分のことも、友達のことも、全てに数字なんかいらない、そんなものは上辺だけ、私はまっすぐ物事を見つめられる人になりたい。そう気づき、決意してから不思議と自分のことも好きになれていった。
真面目すぎるくらいの真面目だし、心配性だし、無駄にプライド高いし、ずる賢く生きることなんて出来なくて、来るもの全てを受け止めて沢山傷ついたけど、これからもそうかもしれないけど、そんな自分が今は愛しくて好き。大学生になった今、そうはっきり私は言える。
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自分が太ってるから、テストの順位が下だから、部活で賞を獲ることができないから、私は何も無いんだと、苦しい、辛い日々を生きる自分のことが嫌いで仕方ない誰かへ。人生から、数字を消して。体重が重いから、頭が悪いから、弱いから、数字だけを見て私がどんな人なのかを決めつけて、バカにしてくるような人の為にあなたは努力しなくていいし、変わろうとしなくていい。
あなたがやりたいことをしてる時に、そっと隣にいてくれる人と生きて。そうしたら、周りの人も自分のことも好きになるから。生きることが、楽しくなるから。
いつか、私を苦しめた価値と理想と偏見へ、「お前なんかのために私は変わらない」と一緒に叫ぼう。