職場の飲み会で、高校時代の部活の話になった。
昔はこの手の質問が嫌で仕方なかったものだ。当時美術部に所属していた私はスクールカーストの最下層。部活でだいたい思春期の陰気な自分を想像されてしまうのが、恥ずかしくて仕方なかった。
でも、最近はなんとも思わなくなった。
今でも私はどこから見たって十分に「陰」の側だし、今さら何をそんなに肩肘張る必要があるのだろう。そして当時絵に向き合っていた時間は、自分にとって捨てがたい時間でもあった。

部室に入るとたちこめるテレピン油の匂い。
女子校の片隅にある、このしけった部屋に篭って何時間もイーゼルに向き合うというのは、世間広しといえどなかなか見られない青春の過ごし方だろう。太陽のもとさわやかに汗をかく運動部からしたらネクラすぎてありえないと思われそうだ。
油絵は時間をかければかけるほど物理的にも厚みが増していき、どこか色も深くなる。私は油少なめにして筆跡を残すこってりとした絵が好きだ。頻繁にサボっては顧問に怒られていたが、それでもいざ部室に入ると、禅のような気持ちで無心に絵に向き合った。
振り返れば、静かに沈黙が熟していくあの時間は贅沢なものだったと思う。

◎          ◎

美術部には名物の先輩がいた。
背が高くて恰幅もよく、長い髪をひとつの三つ編みにしてメガネをかけ、妙な落ち着きがあった。高校生というよりは5人くらい子供がいる肝っ玉母さんと言われた方が納得がいく風貌である。
物おじせず、校内最恐と言われていた教師とも唯一親しく話ができるという不思議な人だった。なにかトラブルが起きても、とりあえずそばにいればなんとかなりそうな貫禄がある。

たまに彼女が噂になるのは三つ編みで渦を作って髪の円盤を頭のてっぺんに載せている時だった。円盤の日も彼女の様子はいつもと変わらず、機嫌良く顧問や後輩に話しかけていた。まるでその円盤などないかのようだったが、私はじめ下級生の間ではにわかに話題になった。

彼女の描く絵は意外にも真っ当で、海の中の風景の絵や果物の並ぶ静物画など、正統なテーマが選ばれていた。見た目によらず、彼女は全体のバランスが整った几帳面な絵を描く人だった。
彼女は当たり前のように美大に進学した。
一時は私も美大に憧れたことがあったが、彼女を見てなぜか、私には無理だと納得がいってしまった。
先輩はいつもご機嫌で、さらに気分がいいと津軽海峡冬景色を口笛で奏でたりするようなマイペースぶりだった。

◎          ◎

「山下さんは夢中になるとのめり込むクセがあるね」
顧問にそう言われたことがある。
「気づいたら一歩引いて、全体を見る。全体のバランスが大事」
確かに私は、描き込むと没入してしまい、部分にこだわってデッサンが狂い出すことがよくあった。あの先輩はきっと言われたことのない言葉だろう。
絵は「芸術は爆発だ」というノリと気持ちで描くのではなく、思いのほか、全体を構成する力と先を見通す力が求められるのだ。

そしてその10年後、社会人になり新卒の初めての上司からも同じことを言われる羽目になる。
「山下は枝葉末節にこだわりすぎる。全体を見ろ、概観を意識しろ」
全体を見るとはどういうことなのか、どうすれば「全体を見る」ことができるのか。
私は生きる要領も悪く、勉強も仕事もできずこの歳でひとりの身なので、人生の全体を観る力も弱いのかもしれない。
そんな自分を見つめるのは年々骨の折れる作業になってきて、自省が億劫になってくる。
今年の秋は、久しぶりに絵を通して自分を振り返りたくなっている。