スピーチ活動は私の大学生活の大きな挫折だ。
サークルの後輩が有名なスピーチコンテストに出場するとを聞いて、観戦してきた。私は大学に入学してから英語のサークルに入り、英語スピーチで結果を残すべくそれなりに真剣に取り組んできた。でもサークルを引退してからスピーチから距離を置いていた。久しぶりにスピーチを聞いて、やっぱりスピーチは素晴らしいという気持ちや、全く結果を残せなかった現役時代の劣等感で心の中がごちゃ混ぜになっていた。
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私が英語サークルに入ったのはとても単純な理由だった。「どこかサークルに入って大学生活をエンジョイしたい!」「ウェイウェイ系の人たちは怖いからある程度真面目そうな所がいい」「英語が話せるようになりたい」「友達欲しい」なんて軽〜い気持ちでサクッと入部した。
その頃はまだ「スピーチで結果を残したい!!」なんて高尚な目標は全く持ち合わせていなかった。入部したあとの説明会で「なんかスピーチって面白そう」と思うようになり、先輩に誘われるがまま新入生向けのスピーチ大会に出場した。
その大会は学校内の講堂を借りて行われた。舞台の上でスポットライトを浴びて、身振り手振りを踏まえて話す私を観客が見ていた。その感覚が忘れられず大会が終わる頃にはもう「スピーチで色んな大会に出てみたい!!」と思うようになっていた。スポットライトを浴びて、観客の注目を浴びて、自分の意見を言う。普段だったらできない経験が楽しかった。
自分の過去の経験を掘り出してまとめて1つのスピーチにすることが楽しかった。自分の価値観を多くの人に伝えたい、周りの人を楽しませたい、私のスピーチで明るい気持ちになって欲しい、自分自身もスピーチで楽しみたいというのが私がスピーチをする理由だった。
しかし、私のスピーチは全く評価されなかった。予選不要の他大学と合同の小さな大会に何度か参加するも、一度も入選できたことがなかった。順位発表の時に私の名前が呼ばれないことがいつも悔しかった。自分のスピーチが評価されないことは自分の価値観が否定されているようで辛い。
大きな大会を見に行く度、ステージ上でスポットライトを浴びてキラキラしているスピーカーを見て、「私もいつかあっち側に立ってやるんだ」と野心を燃やしていた。大きな大会に出たい、入賞したいという想いが強くなっていった。膨らむ夢や目標に反して、私の実力は伴わないままだった。
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入賞者の名前が読み上げられる時、私の名前が呼ばれて欲しいといつも願っていた。私の脳裏には大会で入賞して賞状を手に笑って写真を撮られる自分を夢見ていた。でも、何度大会に出ても順位発表の時に私の名前が呼ばれることはなかった。
本当はもう気づいていた。自分はスピーチで結果を残せるような人間ではないということは。私には実力がない。スピーチのセンスがない、英語力も低いし、正直努力だってあんまりしてないし、私は良いと思っているけど肝心のスピーチ内容もあまり良くないんだろう。
入賞したあの子は私より頭の良い大学だから。あの人は高校で留学してたから。あの人とは歩んできた人生が違うから…そういう風に自分を納得させてもやっぱり大きな大会に出たいという夢は捨てられなかった。
だから有名なスピーカーや英語の先生達に手当たり次第にスピーチを見せて添削をしてもらった。結果、客観的に見て「良いスピーチ」を書くことができた。私が好きな所を削っていってただ評価されるためのスピーチになった。でも、なんとか1つだけ有名な大会の予選に通り出場までこぎつけることができた。
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予選に通ってから本番までの間は長く苦しかった。夜、布団に入っても大会のことが気がかりで眠れず原稿を書き直してみたり、練習に付き合ってくれるOB・OGからのプレッシャーも重くのしかかった。
「自分自身を好きになろう!」というスピーチなのに、私は自分自身のことも、自分が書いたスピーチのことも全く好きではなかった。そんな自分が「自分を好きになろう!」というなんて皮肉だ。あんなに憧れていたスピーチの大会に出ることができて嬉しいはずなのに、ずっと苦しくて、逃げ出したかった。不安で食欲もなくなり友達の前で泣いてしまうこともあった。同じ大会に出る出場者はもう既にたくさんの大会で結果を残している有名な人たちばかりで「私はここに居るべき人間じゃない」という想いも強くなっていった。
そして迎えた当日、憧れていた舞台にようやく立つ瞬間が来た。でもスポットライトの光は眩しいばかりで、私の表情は硬く、初めて舞台に立った頃と同じ高揚感や喜びは感じなかった。ただ早く時が経って欲しかった。ようやく舞台から降りられた時は「もうスピーチをしなくてもいいんだ」と心から安心した。
その日も、私の名前は呼ばれなかった。
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その大会が終わってからすぐに私は逃げるようにサークルから引退した。後輩の面倒も全然見なかった。スピーチを始めた頃は楽しくて心の底から「自分を好きになろう!」と観客の前で笑顔で言えていた。なのに結果に固執し、自分らしさを見失い、最後には結果も得られず苦しいばかりで終わってしまった。
もちろん、スピーチを始めたことで得たものもたくさんある。活動を通して出会えた人たちがいる。他人のスピーチを聞くことで価値観も広がった。英語力も伸ばすことができたし、人前で話すことを恐れることはなくなった。スピーチに出会えて良かったと思う。でも、本当に苦しかった。今でもこんな想いをするくらいならあの不相応夢を追いかけなかった方が良かったんじゃないかなと考えることがある。
今日、久しぶりにスピーチ大会を見に行った。どの出場者のスピーチも素晴らしく、私にはない視点で世界を見ていた。舞台の上でスポットライトを浴びて話すスピーカー達はキラキラと輝いて見えた。
でも、もう「あっち側に立ちたい」とは思わなかった。