12歳。卒業。小さな町に住む私たちは、中学受験を受ける子たち以外は同じ中学校に進学するため、卒業はさみしいものではなかった。かといって人前に立つのが苦手な私にとって、卒業式はあまり楽しいものではなく。
舞台で卒業証書を受け取った後、在校生や保護者の視線が集まる中で、私たちは「将来の夢」を発表しなければいけなかった。当時の私は将来のことなんて考えたことがなく、発表できる夢などない。いつも図書室で借りていた小説の女の子みたいなパティシエ?それとも可愛い動物たちと触れ合える獣医さん?どれも夢として発表するには幼いような気がして、卒業式が憂鬱だった。
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地域の中学校に進学した私は、吹奏楽部に入ってトランペットを始めた。運命だった。トランペットは吹奏楽の中でも花形と呼ばれ、他の楽器と比べても人気な楽器だと言われる。だから希望が通ったことにとても驚いたし、嬉しかった。最初は音もほとんど出なくて、すぐ呼吸が苦しくなっていたけれど、だんだん出る音が増えていって、自分の音色が良くなっていくことがはっきりと分かって、それが楽しくてしょうがなかった。初めてソロを吹いた日のことは特によく覚えている。一年生の文化祭。ジャズの名曲を吹奏楽のためにアレンジした「A列車で行こう」のラストのソロを、一つ上の先輩が譲ってくれたのだ。初めて楽器を持ってから半年も経たない秋の日だった。楽器を持てば、苦手だった人前に立つということも、まるで心強い味方がそばにいるような気分になった。部活の時間が近づけばいつもよりいくらか明るい性格になることも自覚していた。トランペットを始めてからは何もかもが、調和のとれたものになっていった。
高校生になってからも、私は演奏を続けた。中学生の時よりも多くなった人数に、厳しく理屈っぽくなった顧問の先生。増えた練習時間や炎天下の中でのマーチング練習には苦しむことも多かったが、そんなことはどうでもよく感じるほど、部活は私の一部で、かけがえのない居場所だった。
周りの仲間は手放しに私の演奏を褒めた。「ゆりちゃんの音は、何か違う」「ゆりかは神ですから」そんな甘い言葉たちが脳を揺らす。勉強も運動も不得意な私にとって、トランペットは希望の光だ。少なくともここには、この学校には、トランペットに関して私の右に出る者はいない。
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当時の私は、輝いていた。無敵の輝き。あふれ出る自信が発する輝き。しかし、光は永遠ではない。この地球を照らす太陽でさえ、あと50億年ほどで死んでしまうという。太陽に比べたらほんの小さな星の、ほんの小さな国の、ちっぽけな私の自信が発する輝き。それが消えるのは早かった。
ソロのオーディションでは先輩たちよりも多く票を獲得した。三年生の夏のコンクール、部員の投票によるオーディションでも私は一番だった。
でも私は高校生最後の、人生で最後のコンクールには出なかった。いや、出られなかった。理由はなんとも情けなく馬鹿らしい。成績が足りなかったのだ。そう、成績。音楽とは何の関係もないように思えるその概念が、私から最後の夏を、青春を、奪った。
本当は思い出したくもない。コンクールに出られない。その言葉を顧問から聞いた日、部活を早退した。そのまま、気が付けば夏が終わっていた。鳴る電話も、LINEの通知も、私の周りを通過するだけで、まるで外の世界にあるみたいだった。
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自分が被害者であるかのような言い方をするのは良くない。日ごろの努力が足りなかった。それが事実である。そう理解していても、周りの人や物に責任を押し付けたくてしょうがなかった。ひと夏が過ぎる間、白昼夢のようにそんな自分を俯瞰して見ていた。未熟な自分が、恥ずかしかった。そして初めて、変わりたいと思った。
変わりたい、変わらなくては。苦手な勉強も、戦わなくては。これ以上誰も裏切らないように、自分を裏切らないように。挫折と、成長。部活が、吹奏楽が、そしてトランペットが私を変えた。私に夢を与えた。あの卒業の日に無理矢理ひねり出して発表した、小さな小さな夢。その夢が、6年の時を経て、新しい夢を私に芽生えさせたんだ。
「中学生になったら吹奏楽部に入って、音楽で人を楽しませたいです」