高校の選択美術で2だった「くせに」、私は案外美術展に好んで行く。
「趣味は?」と聞かれた時に、いつも答えている「料理・読書・花札」の勢いの良さはないものの、聞いてきた相手が美術に精通しすぎていなくて恥ずかしくない場合、または「にわかだけど」と笑って付け加えられるような間柄だった場合、「実は映画鑑賞や美術展巡りも好きなんだよね」と遠慮がちに言うくらいには好きである。
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昨日も友人に誘われ、上野は東京都美術館で開催されている、「マティス展」を訪れた。この場合は、友人は、美術に精通しすぎておらず、「にわか」告白を聞いて「私も」と笑ってくれるような間柄であり、その上個人主義でマイペースなので、思い思いのペースで鑑賞できるという、美術展巡りにはうってつけの友人であった。
アンリ・マティス(1869年-1954年)を皆さんはどれだけご存じだろうか。フランス出身のフォーヴィズム(野獣派)の巨匠であり、20世紀を代表する芸術家のうちの1人である(そうだ)。
そうだ、とまたも末尾に付け加えたのは、私も昨日実際に訪れるまで、名前以外全く知らなかったからだ。すみません。だから、にわかだって言ってるじゃん。でも、そんな何も知らなかった私、美術が2の私でも、感じ取ることが多すぎて、メモを取る手を止めることができなかった。圧倒されたのだ、主に2つの点で。
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まず、「抽象的」と言われる美術作品の奥深さを初めて体感することができた。マティスはその芸術家人生の中で、絵画だけでなく、彫刻や切り絵も数多く手がけた。その彫刻作品は、人体や動物を精緻に作り上げる写実的なものでなく、その作品単体だけを見ると「ん?これは何をモチーフにしているんだろう」となる抽象的なものが多く存在する。
美術展中ごろに展示されていた女性の胸像シリーズもそうであった。最新作単体だけを見ると確かに女性とはわかりにくい。しかし、である。作られた順に、順を追ってみていくと、感想は全く異なるものになる。
最初の女性の像から、段々と女性「らしさ」を抽出していく過程を経て、最新作に至ると、「うわっ、これまんま女性やん!」となるのだ。最新作のそれが「女性らしさ」だけを抜粋した「女性の本質」を捕まえた作品であると分かってしまうのだ。
「抽象画なんてハイセンスな『ゲージュツ』なんて、詮選択美術2の私には理解できないっすよ。写真と見間違えるような絵画とかもっと分かりやすいの求む」なんてスタンスの私に、力技で「芸術における抽象」を理解させたマティス。恐るべしである。
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そして2つ目の圧倒。美術展と名をつくものには今までもそれなりに訪れてきたが、美術展で涙をこぼしそうになったのは今回のマティス展が初めてであった。没後70年を超え、海を越えた日本でこのような大規模な美術展が開催されるマティス。
まごうことなき巨匠である。しかし、しかしである。アンリ・マティスが、絵を描き始めたのは、なんと21歳のときだったのだ。虫垂炎で入院した際、母親から病床で絵を描くことを勧められたのがきっかけ。そこから絵を描く楽しさに目覚め、一度は地元の法律事務所に就職するも、絵の夢を諦めきれず、なんと国立美術学校に入学したのは26歳なのだ。
21歳で志し、一度は安定した職業に就くも、26歳で美術学校に入学する。そしてそこから世界的な巨匠になったマティス。年老いた後は、体調を崩し手術を受け「奇跡」と呼ばれる生還をしたあと、ベッドや車いす生活になっても芸術を諦めず、はさみと紙を使った切り絵で表現を諦めなかった最晩年を過ごしたマティス。
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そのマティスの作品に包まれ、その人生に思いを馳せると、マティスからの声が聞こえてくるかのようだった。「諦めるな」
「夢を見るのに遅すぎることなんてないんだ」
「遅すぎることはないけれど、その分誰よりも必死でやらなければいけないよ」
「諦めきれるならお前の夢はそこまでだったんだよ」
そして「踏ん張れ」
マティスの性格までは分からないので、優しい口調なのか、厳しい口調なのかまでは分からないけれど。
でもこれだけは分かる。マティスは「くせに」なんて言葉はきっと使わなかったに違いない。
「21歳から絵を始めた『くせに』画家を目指すなんて無鉄砲だ、不可能だ」なんて言葉。
マティスには「だって」という言葉の方が似合う。
「21歳から絵を始め『たって』画家を目指せる」なんて言葉。
ならば、無謀にもエッセイストを志している29歳の私も、マティスに習おう。
「美術2『だって』美術展巡りが好き」、そして「29歳『だって』エッセイストになるという夢を持つ」と。
この3文字。これがマティスの夢が私を変えてくれたことだ。