私の想いをとうとう伝えられなかった人が一人だけいる。今思えば、初めて自分から好きになった人だったと思う。
大学2年生、20歳くらいの頃だった。彼は私が通っていた大学の職員で、度々お世話になっていた人だった。スーツ姿が眩しくて、笑顔が爽やかで、落ち着いたトーンで時々冗談を言って笑わせてくる。大学に何百人といる学生の中で、いつの間にか私を認知してくれており、関わりが増えていくにつれて、気がつけば私は彼に惹かれていた。歳は10歳ほど離れていたが、そんなこと気にも留めていなかった。

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彼を通して恋を知ってからというもの、私の目に入るもの全てが輝き出した気がした。講義棟ではなく、職員棟で働く彼とは、大学に行ったからといって必ずしも会えるわけではない。それでも、「今日は会えるかな」と大学に行くのが楽しみになったり、いつ会えてもいいようにオシャレにも気を遣おうと思ったりし始めた。
恋愛ソングを聴いて共感する部分が増えたり、「今何をしているのだろう」と考えたり、恋をすることの苦しさも知った。
大学主催のイベントを一緒に運営した際に、どさくさに紛れて彼と一緒に撮った写真を何度も何度も見返しては、ニヤついてしまっていた。
あの時は確かに本気だった。本気で彼のことが好きだった。
私だけを見てくれていればいいのに……。そう願っても、彼は私のことをただの学生としか思っていない。そんなの分かりきってはいたが、虚しくなるだけなので、あまり考えずにいた。

私が彼を好きだということは、周りの友達にもいつの間にか知られていた。中には協力してくれる人も出てきて、彼と積極的に話しては情報を私の方まで持ってくる友達もいたが、私は自分で関係を築き上げたいという謎のこだわりを持ちながら彼との距離を詰めていった。

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彼に片思いをしてから2年近く経ったある日、彼のいる事務室に用事があって赴くと、いつものように私に気がついた彼は笑顔で駆け寄ってきてくれた。なんだかいつもよりも笑顔が眩しくて機嫌が良さそうだと思いつつ、持ってきた書類を彼の方に渡した。その瞬間、私の目に飛び込んできたのは、彼の左手の薬指に輝く真新しいシルバーの指輪だった。
「結婚したんですか……?」
私は顔を上げることができず、彼の指に輝くリングに目を奪われたまま、気がつけばそう訊ねていた。
「そう、実はね」
そう答えた彼の顔を恐る恐る見上げると、今までにないほどの眩しい笑顔で照れていた。その後に「おめでとうございます」と言えたかどうかは覚えていない。言えたとしても、顔は引き攣って笑えていなかっただろう。

事務室をそそくさと後にした私は、その瞬間、心の中が空っぽになった感覚に襲われた。
知らなかった。彼女がいたなんて、婚約していただなんて、結婚してしまっただなんて。
不思議と涙は出なかったが、虚無感だけが私を包んで離さなかった。

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それからしばらくは、街中で歩くカップルや家族連れをみると、ひどく心が痛んだ。次の恋愛に進めることはできるのだろうかと思いながら、私は彼らを見ないふりした。
人を好きになること、好きな人を諦めなければならないこと、初めて知った嬉しさも喜びも悲しみも、20歳を越えたばかりの私にとっては全てが刺激的な出来事だった。

数年経った今は、その彼とは全くタイプの異なる彼氏と毎日を過ごしている。
未練があるわけではない。今の彼と比べるつもりも微塵もない。ただ、あの約2年間の片思いは私の心に残り続ける。彼との出会いがあったから今の私がある。今の恋愛観が確立されている。
大学を卒業してからは、彼と会ってもいないし連絡もとっていないが、あれからも元気にしているのだろうか。時々彼の顔を思い出しては、あの時の青春を感じていた日々を呼び起こす。