今年の前半は、激動だった。病気が再発して休職し、住み慣れない街に短期間住むことになった。それからは、何もできずに家に引きこもっている事が多かった。何もできない自分が悔しくて気合いを入れて街に繰り出せば、その後1週間は寝込んでしまう。そんな自分が嫌で嫌で、今までできた事が何もできなくなっていく自分が怖くてしょうがなかった。

でも春先からは少し体調が良かった。その矢先、病気が併発して、1人で出歩く事が難しくなってしまった。だからこそ、今年の秋は、いろんなことがやりたい。やりたい事はいっぱいある。

まずやるべき事は、『自分のことを見捨てないこと』

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今、私のお腹には小さな命が宿っている。そのために訓練していることは、途中で薬を勝手にやめてしまわないこと。私は、何度も勝手に薬をやめて、再発を繰り返している。調子が良くなるともう良いんじゃないかと素人判断をしていた。

今までだったら、もうそれでいいや、寛解しなくてもしょうがない、と思っていたけれど、今は違う。今、私にしか守れない命がある。そして、守るべき(守られてばかりだけれど)大切な大切な家族がいる。

「薬を飲んで、お腹の子は大丈夫なの?」「薬飲んでるのに妊娠するなんて、お腹の子がかわいそう。」嫌と言うほど言われた。確かに、正論だと思う。でもそれなら私はいつなら妊娠していいのだろうか? 年齢が上がれば、「高齢出産なんて大丈夫なの?」「子供はいつ作るの?」と後ろ指を指されたりもするだろう。

2人で決断したのだ。どんな子であろうと、可愛がろう。私たち2人を選んで芽生えてくれた命。絶対に守りたい。だから1番お腹の子に影響の少ない薬にして、私の体調も良くするように調整してもらっている。

私は体調が悪いと動けなくなるし、思考回路もおかしくなっていく自覚がある。だからこそ、病気と向き合わなければいけない。お腹の子のためにも、自分のためにも、そして旦那様のためにも。

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ある人に言われた印象に残る一言がある。
「子供が出来たら変わると思うよ、人生も心も

その一言の意味が妊娠発覚時には全く分からず、私は母親失格だ、と感じていた。嫌なことを言われるたびに、やはり私はまだ母親になるべきでは無かったのかもしれない、と落ち込んだ。悔しい、私が健康体だったら、ただただ祝われるだけであっただろう妊娠なのに、と何度も思った。

でも今は、あの一言の意味が少しずつ少しずつ心に浸透してきている気がする。お腹にいる間は、私にしか守れない命なのだ。どれだけ私が命を断ちたいと思ったとしても、できない。それはイコールお腹の子の『死』に直結するから。

自分の命を断つ勇気があったとしても、お腹の子の命を断つ勇気は無い。そう思えている今のうちにしっかり病気と向き合うのだ。今が最終チャンスだと思う。

そして、行政のサービス全てにしがみついてでも、子育てをしていくのだ。この病気のせいで私が要注意人物になろうとなんでも良い。保健師さんが何度でも見回りに来てくれるなら、願ったり叶ったりだ。お世話になろう。お腹の子が無事に元気に育ってくれるなら、後ろ指くらいいくらでも指されてやる。

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でもその前に、今年の秋が最後に旦那様とふたりで過ごせるゆっくりした時間。旦那様を労いつつ、ふたりで子煩悩夫婦になってい。それが私の今年の秋に1番やりたいこと。