お酒は好きだ。
仕事終わりに飲み干すビール、友人としみじみ語らいながら舐める日本酒、暑い夏にも何杯も飲みたくなるような、キーンと冷えたハイボール。本を読みながらワインを飲めば、ページも進むしグラスも進む。
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何もないのんびりとした休日の昼下がり、ワイングラスに冷たいロゼワインを注ぎ、窓から日光に透かせば、おとぎ話みたいに綺麗だ。淡くて儚いピンク色でキラキラして、妖精の飲み物みたいに美しい。別にワイン専門店で買ったものでもない、近所のスーパーの特売品でも、こんなに心が満たされる。
今年の夏、旅先の海辺で飲んだモヒートも美味しかった。潮風に当たりながら飲むミント味のカクテル、味もシチュエーションも完璧である。心のインスタグラムで100万いいねを誇るくらいの思い出だ。
お酒を飲むようになって10年近く経つ。決してお酒に強い体質だと自分で思わないが、少なくとも一口飲んで全身が赤くなるような体質ではない。アルコールの有害性はわかっているが、それでも食や味覚の楽しみを広げてくれるこの物質を摂れる身体で良かったと思っている。
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そんなわたしにも、苦手な種類の酒がある。焼酎である。
初めて飲んだ時、匂いが苦手だな、と思った。その後も何度か別の場所で、別の種類・銘柄の焼酎を飲んだけれど、やはり匂いが気になって、慣れることができなかった。周りの人の反応を見ても、匂いを悪く言っている人はおらず、わたし個人の好みの問題なのだろう、そういうこともあるよな、と納得していた。
そのなんとなくの苦手意識に、はっきりした根拠があると気づいたのは、働き始めて久々に実家に帰省したある日のことである。
台所の流し台に、空になった焼酎の1リットル紙パックが置いてあった。朱色のそれを発見した時、子どもの頃に嗅いだ匂いを一瞬で思い出した。鼻から脳を香りが駆け抜けるように。
わたしがお酒を飲めるのと同じく両親ともアルコールは摂れる体質で、父は特に昔からお酒が好きだった。いや、実は好きでもなかったのかもしれないが、とにかく家でもたくさん飲んでいた。
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夕飯と一緒に飲んでいたお酒はだいたい焼酎の水割りだった。我が家の食卓では、父の左隣はわたしの席だった。父が左に置いたグラスをかき混ぜるたび、新鮮なアルコールの匂いが鼻先に届いた。焼酎の匂いは、否が応にも嗅がされてきた匂いだった。
食事時だけでなく、父はお酒をよく飲んだ。夕飯後も夕飯前も、昼食後も昼食中も、下手をすると昼食前から。
焼酎の紙パックは安い。そして、缶チューハイも安かった。冷蔵庫のチルド室の真上には、所狭しとチューハイの缶が並んでいた。
缶のプルタブを引く音は、どうしてあんなにも響くのだろう。まだ朝と言っていい時間帯からリビングに響く「プシュカポッ」という音の、いやーな、不快な感じが伝わるだろうか。
別に父は酔って暴れたとか借金を作ったとか家族を捨てて女に走ったとか、酒で身を持ち崩したわけではない。ただたくさんお酒を飲んでいた、そして度々理性を失っていた(平和な範疇で)、それだけだ。
それでも、子供の頃のわたしはそれをとても嫌だと思っていたらしい。焼酎の匂いを受け付けなかったのは、そういうことだろう。
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今振り返って言語化すると、わたしが焼酎の匂いを嗅いでとっさに思ったのは「酔っ払いの匂いだ」ということだ。
父は酒を飲んでいる時、幸せそうではなかった。楽しむためではなく、飲まずにはいられないから飲んでいるように見えた。おもしろおかしい、朗らかな人に憧れているものの、口から出る言葉は別段おもしろくなく、時折人をいたずらに傷つけるだけのようだった。
酒を飲んでいない時と比べて声と態度が大きくなるのも、普段言わないようなことを言うのも嫌だった。わたしは今でも酒の席で態度が変わる人は嫌いである。自己嫌悪も込みで。わたし自身も、酒を飲むと気が大きくなって、陽気になる節があるのを自覚している。恥ずかしいことだと思う。
夜中トイレに起きた拍子に、深夜に帰ってきた父が母を付き合わせて、回らない呂律で上司の陰口を叩いていたのを聞いてしまったことがある。怖かったし、恥ずかしかったし、かわいそうだった。
わたしは悲しい時、つらい時は酒を飲まないように自戒している。どうせ飲むなら楽しく、幸せにならないと。酒飲みの遺伝子を引き継いでしまったわたしの、せめてもの抵抗である。
古典的だけれど、「酒は飲んでも飲まれるな」。これに尽きる。