中学生の頃、髪を切ることは私にとって自傷行為だった。女性らしさを捨てるたび、心がすっきりしていた。中学校は、女性らしさの押し付けばかりで私にとっては居心地が悪かった。髪の毛を短くするたび周囲は心配の声を上げていた。でも、当時の私からするとベリーショートにするだけで心配されるのも女性らしさの押し付けに感じていた。

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大学生になった今、私の髪の毛は腰まである。スカートだってワンピースだって着る。メイクもネイルもする。どこからどう見ても女性に見えるだろう。私自身、心も体も女性だし、これからも女性として生きていくつもりだ。なら、なぜ中学生の時、私は女性らしさを捨てていたのだろうか。性自認と求められる性別は一致していた。何が不満なんだと思う人もいるだろう。でも、私はそのことに対しておかしいと思っている。

女性に対して女性らしさを求めることは、私はおかしいと思う。非常に不愉快だし、生きづらいと感じる。自分の好き嫌いよりも、女性としてふさわしいかどうかが価値基準にされるのは自分の尊厳を傷つけられていると感じる。女性なら女性らしくすることに何が不満なの?と言われることもあるが、スカートが好きだからスカートを履くのと、制服で女性はスカートと決まっているからスカートを履くのでは大きな違いがあると思う。女性だけど、スカートを履きたくないって人もいる。でも、女性らしさという言葉で女性の気持ちが無視される。私は、そんな校則がたまらなく気持ち悪かった。

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そんな私がフォーマルの場でも自らスカートを履くようになったのにはきっかけがある。高校生の時、母とスーツを買いに行った。まだまだ、女性らしさへの反抗期が続いていた私は、パンツスーツを選ぶつもりでいた。しかし、購入したのはスカートスーツだった。

試着をしているときに店員さんの一言が私を変えた。「女性らしさがでるからスカートを選べっていう学校さんもいるんですけどね。スーツを販売している私たちが思うのは、自分を好きになるためにスーツを選んでほしいです。身長の低い方でもスカートタイプのスーツを着ると足が長く見えてコンプレックスを解消してくれるんですよ。他にも、くびれのラインを作りやすかったりするのもスカートタイプの魅力なんですけどね」。この言葉をきっかけに私はスカートスーツを試着してみた。鏡に映る自分は、パンツスーツの時よりも凛々しくて一目惚れしていた。

このことがきっかけで、私は髪の毛を伸ばし始めた。たいして似合ってもいなかったベリーショートをやめることにした。女性らしさの押し付けへ反発はできていても、私は私のことを好きになれないと気づいたから。これからは、自分のことを好きになるために美容院に行こうと思うようになった。

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今でも、女性らしさを押し付けられるとムカッとする。でも、髪の毛を切るよりも、自分の好きな自分でいることが、女性としてふさわしいかどうかの価値基準への反抗になっていると思う。それが結果として、女性らしく見えていたとしても、私は自分の好きを基準に今の見た目を選んでいる。

そんな私だが、近々ショートカットにする予定だ。今回は自暴自棄じゃない。少し前まで放送されていたガンダムシリーズの『水星の魔女』に登場した『ニカ・ナナウラ』というキャラに惚れて、同じ髪型にしてみたいと思ったからだ。カットとインナーカラーの予約をしている。ショートカットにも青色のインナーカラーにも、「女性らしくない」という人はいると思う。それでも私は自分の好きな自分でいることを選んでいく。