人間関係のグルーピングの中に「お酒を飲めるかどうか」という項目が含まれるとは、未成年の頃は思ってもいなかった。

◎          ◎

大学生の頃、二十歳になった私は飲酒にチャレンジした。初めて飲んだお酒は確かサワーとか優しめのジャンルだった気がするが、甘さの奥にツンと来る苦味が好きになれなかった。ダメ元でビールや日本酒も試してみたが、もちろん美味しいとは感じなかった。
サークルを複数掛け持ちしていたため、大人数の飲み会の機会もそこそこあった。飲み放題やピッチャーオーダーが多く、「飲まなきゃいけない雰囲気」が漂っている。「学生のうちに酒で失敗した方がいい」と周りの先輩たちは言ってくるが、それって単に自分の体調管理ができないことを誤魔化しているのではないか?ただでさえ体調を崩しやすい私は、少しずつお酒に慣れていくつもりだった。

ある日、サークルの同期が集まって宅飲みをしていたという話を聞いた。私はそのことを知らなかった。私だけを誘わなかったのだ。純粋にショックだった。同期とはいい関係を築きたいと思っていたのに。なぜかと尋ねると、こう返された。
「だって、お前あまり酒飲まないじゃん」
あっという間に悲しみが怒りに変換された。そんな理由で私を誘わなかったのか。お酒を積極的に飲めるかどうかで付き合う人間を選ぶという事実が、当時の私には理解できなかった。飲みサーでもないのに、お酒で人を選ぶなんておかしい。生真面目に体調管理しようとしていた私も馬鹿馬鹿しい。

◎          ◎

吹っ切れた私は、美味かろうが不味かろうが、お酒を進んで飲むようになった。体内に入れたものを戻さないことは必ず守っていたが、飲むペースは早く、飲み放題では必ず元をとっていた。人間関係を深めたくて飲んでいる訳ではない。馬鹿にされたくなくて、蚊帳の外にはなりたくなくて飲んでいたのだ。飲む回数を重ねる度に、私はそこそこお酒に強いことがわかった。少なくとも当時は、酔っても顔が赤くならなかったし、むしろ冷静さが増していた。酔い潰れて動けなくなる先輩や同期の滑稽な姿を俯瞰していた。

悔しいのは、私がお酒を好きになってしまったことだ。積極的にお酒を飲むようになってから、お酒の美味しさがわかるようになった。最初は苦手だったビールだが、タイに長期滞在した時に、ビールに氷を入れるという文化を体験した。薄くなったビールは飲みやすくて、ゴクゴクと何杯もいけた。帰国時にはビールが好きになった。
団体で飲むお酒も、甘いものを選ばなくなった。大好きになってしまったビールやハイボール、ワインが中心だ。こってりした飲み会の料理には、甘いお酒は合わない。何より、甘いお酒で可愛い子ぶってるように見られたくなかった。甘くないお酒に慣れるようにした。結局は慣れが好きへの近道だったのだろう。

◎          ◎

お酒が好きになっても、人間関係がうまくいくとか、そういうことは起きなかった。飲んで騒ぎたいがために集まる人とは、お酒がなくても仲良くなれない。逆に研究室のメンバーや学部の気の合う同期とは、普段の付き合いとお酒の付き合いはしっかり線引きされていた。私は後者のほうが気が楽だった。そのことに気がついてから、大人数で飲む機会が減った。私も避けれる時は避けていたし、周囲も段々と声をかけてこなくなった。
しかし、二十歳になったばかりでお酒があまり飲めなかった頃を思い返すと、少しだけ胸がキュッと狭くなる。仲間はずれにされたくないがために頑張ってお酒を飲んでいたのに、飲めるようになった今は人間関係を取捨選択している。

私が好きなお酒を飲むシチュエーションは2つ。1つは気の置けない友人とのサシ飲み。誰と飲むかでお酒の美味しさは変わる。そもそもお酒を抜いても、楽しい時間を過ごせる。
そしてもう1つは、一人飲み。居酒屋やパブで好きなお酒と好きなご飯を満喫する。美味しくて自然と笑顔になる傍ら、周囲の団体客の話がたまに耳に入ってくる。そういったものは大体愚痴とか悪口とか、ネガティブなものばかり。心の中で小馬鹿にして笑ってしまう。私も性格が悪いものだ。