「『コンサートをさせていただいた』って、何だよ、『させていただいた』ってよ」
父が、テレビに向かって呟く。どうも、音楽番組を観ていて、若いアーティストが話している、日本語の乱れが気になるようだ。 

その横では、母がチーズと赤ワインでまったり一杯やっている。そして、そんな2人の後ろ姿を、ソファに座ってぼーっと眺めている、私。平和な日曜日の夕方だ。ただし、私の心の中以外は。

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いつからだろうか。何でもない日に、のどかであればあるほど、ふと胸がざわつくようになったのは。それはまるで、暑い日の帰り道で、遠くの空に雨雲を見つけた時のような、ほんの小さな不穏なのだ。
だが、私は知っている。それはいつか大きくなり、嵐を呼ぶのだと。今のうちに、雨風をしのげるように備えねば。

思えば、20代前半の頃は、そんなものが見えたとしても、目を背けて素通りしていた。仕事に、遊びに、毎日が楽しかったし、必死だった。それだけで精一杯だった。両親の力や優しさに頼りきっていて、他のことには思いが至らなかった。
だが、今は違う。日々の暮らしの中だったり、言葉の端々だったり、ちょっとしたことに、両親の老いを感じずにはいられない。それもそのはずだ。私が28歳で、30歳が見えるところにいるのだもの、2人は還暦間近なのだ。

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「身体中が痛い」
床から立ち上がる動作だけでも、よっこいしょ、と、つらそうな様子の父。
「小さい文字が見えない」
と言って、スマホを見るのにメガネをかけるようになった母。
仕方のないことだけれど、私はそのたびに、切なくなる。こうやって皆、年を重ねているのだ。

そして、言葉にしづらいけれど、確実に迫って来ている問題がもうひとつ。このままだと、独身で実家暮らしの私には、断崖絶壁が待ち受けている。
遠くない将来、両親は年金暮らしになる。そうなれば私は、自分の稼ぎだけで、自分を食わせていかなければならない。今のそれは雀の涙なので、同じことをしていては暮らしが苦しくなるのは、目に見えている。

もっと先まで考えていけば、自分のことばかり言っていられない。いつか、両親の介護だって、必要になるかもしれない。その時は、きちんと希望を話し合って、できる限りのことをしたい。そう思うならば、あちこちを駆けずり回って、書類を書いて、連絡がくれば窓口になって、もちろん暮らしの面倒も……。やるべきことが、多すぎる。嫌だとは言わないが、とても1人では成り立たない。想像しただけで、足がすくんでしまいそうだ。

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それでも、人生が続く限り、生きていかなければならない。私、どうしたらいい?

「つらいよね。そばにいるよ」
誰かに、そんなふうに、隣にいてほしい。泣きそうな時に、慰めてほしい。背中をさすってほしい。何なら、手を握って、一緒に歩いてほしい。考えが甘いのかもしれないけれど、最近、夜眠る前に、そんな、どうしようもない寂しさがやってくることが増えた。そんな時は、顔から吸い込まれそうになるのを必死に振り払って、何とかベッドに入る。

もちろん、自分の人生なので、自分がしっかりしないといけないのは、わかっていることだ。誰かと一緒にいたからと言って、うまくいくとは限らない。もし、パートナーがほしいとなれば、相手のことにだって責任を持たなければならない。人付き合いが得意でない私のことだ。煩わしさなら、山のように思いつく。

それでも、仲間がいれば、周りを見て、 「あ、今こんな感じね」と、足を動かすことくらいはできる。それに、知恵が集まれば、雨の中で傘をさせるかもしれないし、わざわざ崖の上を進まなくてもいいかもしれない。せめて、そう思いたい。まだまだ、生きることを諦めるわけにはいかない。