キムチ、担々麵、アラビアータなどなど、辛くて美味しいものは沢山ある。とは言っても、私は以前は辛い食べ物が食べられなかった。ピリっと舌に来る刺激に耐えてまで、料理を味わう気が知れなかったからだ。

しかし、今は辛味の貢献で形成される美味しさに気が付いてしまった。カレーは中辛、おでんには辛子、ピザにはタバスコ。辛いことで、より美味しく感じるのである。

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辛い食べ物が食べられるようになったきっかけは、新型コロナウイルス流行による、ステイホームである。おうち時間が増えたことにより、新たに趣味を始める人は多かったと思う。私の場合、それが紅茶だった。紅茶をゆっくり自分で淹れてまったりするのが、私のおうち時間の楽しみになった。しかし、素敵なティータイムも、それが何週間、何カ月と続くと、次第に新鮮味がなくなってくる。紅茶の味にも飽きがくる。

そこで、ある日紅茶にスパイスを入れてみた。家にあるスパイスを入れてみると、ムンっと香りがたって、また違った風味を楽しめる。
シナモン、カルダモン、クミン、胡椒……。スパイスを紅茶に入れるようになってから、スパイスの魅力に取りつかれた。

スパイスにはまった私が、紅茶以外のものにスパイスを入れるようになるまでには、時間はかからなかった。紅茶の次のターゲットは味噌汁である。ステイホームで毎日のように食べるようになった味噌汁にも、スパイスの力で味変してもらうことにしたのである。
味噌汁には、胡椒、練り辛子、山椒、一味唐辛子、七味、ジンジャー...…etc。辛味が似合うのだ。
味噌汁にまでスパイスを入れるようになって、気づけば私の舌は辛味にも耐えうるようになっていた。

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辛さによる刺激に耐えられるようになった私は、辛味を加えるスパイスや調味料の使用をますます拡大させた。例えば、豚汁やうどんに七味、蕎麦にわさび、などである。そして、ギョーザのタレにはラー油を混ぜるようになり、カレー店では中辛を頼むようになり、寿司はわさび入りのものを注文できるようになった。
むしろ、スパイスをかけないと、物足りなさを感じるまでになった。

そしてある日、ステイホーム期間も長く続いたが、世間も私もコロナウイルスの流行にも慣れてきた頃、久々に両親と姉と共に外食へ出かけた。その日は近所のカレー屋さんへ行った。カレーの種類を選び、ナンかライスかを選び、辛さを選ぶ。
私が選んだのは、マトンカレーで、主食はナンで、辛さは中辛。

中辛を私が注文したのを見て、母が驚いた。
「え、辛いの食べれるんだっけ」
最近家族4人そろって食事をする機会が減っていたこともあり、コロナ禍で私が辛いものを克服したのを、親は知らなかったのだ。

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姉は小学校に入るころには、キムチを食べられるようになっていたし、中辛のカレーにも挑戦していた。一方で、辛い料理を無理して慣れようとする姉を見ていた私は、「辛い味=大人の味」がするものだと思っていた。少し無理をしないと味わえない料理なら、食べなくてもいいと考え、辛い料理を今までずっと敬遠していた。そのため、家族4人の中で、私だけが辛みが苦手だった。

そのため、母は家でカレーを作る際、鍋を分けて作ってくれていた。キムチを購入するならば、最も辛みの少ない甘い商品を選択していた。
私も食べられるように、という母の気遣いである。

私のためだけに料理を別に味付けしたり、辛みがない商品を選んだりするのは、私以外の家族にとって不便なことだっただろう。
思い返すと、「末っ子の私のため」の決まり事が、我が家には沢山あった。トランプのパスの回数は家族より1回多い。行くお店は年下の私が飽きないことを重視して選ぶ。見る映画やドラマは絶対に人が死なないストーリー。これらの他にも、「末っ子の私」を基準にしたルールが昔は色々あったものである。

だから、母が、「辛いのたべれるんだっけ」と驚いた声を上げた時は、ほんの少しさみしく感じた。辛いものを食べることができるようになって、家族からの「特別扱い」を卒業したような気がするからだ。
それと同時に、「家族にとって私は、見守られるべき末っ子だったんだなあ」と改めて気付かされた。だから、さみしい感情とともに、今まで受けてきた家族からの愛を実感して、嬉しさもじんわりと湧いてきた。

辛いものを食べられない私は、家族に見守られるべき末娘だった。でも辛い料理を食べられるようになった私は、頼りない末っ子から、しっかりした次女に、1歩だけ近づいたと思う。大袈裟だけれども。これからは、家族みんなで同じ料理を食べることができるから。