「ねえ、文通しようよ!」

まるでピーターパンに導かれるように窓から顔を出し窓の下にいる同年代の女の子に向けて、そう叫んだときのことはぼんやりととはいえまだ覚えている。けれどその子がどんな顔をしていたのかはもう覚えていない。

きっとこれからもっと忘れてしまうかもしれないから、こうして書き記しておかねばならない気がする。小学生の頃、毎年3泊4日で長野県佐久市へ林間学校に行っていた。

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内容はハイキングや川遊び、キャンプファイヤー、乗馬体験。浅間山の鬼押出し園観光。絵葉書や陶芸品を手作りするというもの。
未だに小学校の頃の友達と会うと、思い出話として真っ先に出てくる行事だ。
修学旅行にも行ったけれど、林間学校は1年生から6年生まで毎年同じ旅館に泊まるので6年分の思い出があり、その分濃いのだ。
上野駅に集合してバスに乗り込み、点呼を取り、東京から長野へ。
1年生は親元から離れる寂しさがあり、ホームシックになって泣く子もいたけれど、高学年になると「バイバイ!また明日ね!」を言わずに夜まで友達といられるのが楽しく、またある子はこの林間学校で好きな男の子に告白するといきまき、常にハイな空気が私達の周りにたちこめているのだ。

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「これは皆が家族で行く旅行ではありません。あくまで学習の一環です。なので羽目を外してはしゃぎすぎたり、人に迷惑はかけないように」
そんな私達を先生らは厳しく叱った。「連帯責任!」「団体行動だぞ!」と大人はなにかとキリキリしていた。今思えば何か事故やトラブルがあったらいけないという緊張感からだとわかるけれど、子供の頃は「折角の林間学校だってのに先生ったらやだねえ……」と、ちびまる子ちゃんのように嘆いた。そんな先生をよそに私達は本当は持ってきてはいけないお菓子をこっそり食べ、恋愛話に花咲かせ、秘密で持ってきたアイドル雑誌を眺めた。

あの子に会ったのは、長く感じた3泊4日の3日目の夕方だったと記憶している。自由時間に部屋で友達と話していると窓の外に同い年位の女の子が数人自転車に乗っていた。旅館の中は山側と、車道側があり、私達の部屋は車道側だったので地元の手押し車を押す人や、畑に向かう軽トラが通るのは見ていたけれど、子供が通るのを見るのは初。
世界は広いというのはわかっているけれど、子供の描けるパーソナルスペースの丸は狭くって、いつもその広いようで狭い、同じ学区や同じ塾……丸が交わる中の友達としか関わらないから違う丸の中で過ごす子と交わるのは、なんだか不思議な気持ちだった。

私は「おーい!!」と手を振ってみた。すると彼女らはこちらに近付いてきたのだ。
私達の部屋は2階だったので、彼女らを見下ろしながら言葉を交わした。

「この辺の子なの?」
「うん。そうだよ。みんなは東京からでしょう」
「なんで知ってるの?」
「お母さんがここの旅館で働いてるもん」

それから他愛もないことを話した。こっちはテレビのチャンネルが東京と違うとか、東京よりも放送が遅いだとか、でも見ているドラマはおんなじで、好きな漫画もおんなじ「ちゃお」で。

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やがてお風呂の時間になって私達は移動しなくてはならなくなった。でもなんだか名残惜しかった。折角話せたけれど、明日には私達帰っちゃう、また会える可能性より会えない確率のが高い……。特別仲良くなったというわけではないし、そもそも2階と1階の距離がある中で少し話しただけで、ドラマチックなことは何もなかったけれど、なんだか二度と会えないような当たり前が寂しかったのだ。

「ねえ、文通しない!?」

1番話した女の子に私はそう持ちかけていた。

「文通?」
「うん!文通!」
「…い、いいよ!」

早口で彼女が口にした住所をメモし、私は林間学校のしおりを破って住所を書いてひらひらと窓から落とした。それから手紙のやり取りを幾度かした。
テレビ番組の話や、雑誌や漫画の話。東京の写真を撮って送ったりもした。何通目かの手紙でメールアドレスも教え合ったけれど、早急に伝えたい内容はないので手紙を送り合っていた。

でも次第に話題がつきた。そもそも同じクラスでもないからあまり共通の話題もなく、便箋は5枚から3枚になり、やがてハガキになり、中学生になる頃にはどちらか返事を返さなくなったのか忘れてしまったけれど自然消滅してしまった。貰った手紙も引っ越しをしたりする中でどこかにいってしまった。
でも私はふとこの事を思い出すのだ。Facebookで彼女の名前を調べたこともある、ヒットはしなかったけれど。まあアカウントを見つけたところで連絡するつもりはないし、特別言うことも思い浮かばない、3泊4日の中のたった1日……。それも子供心ではとても長い時間話したように思っていたけれど、今思えば話したのも30分足らず。

そこまで濃い思い出があったわけではないけれど。
特別ドラマチックではないけれど。

でも、それでも「長野」という単語を聞いたり、未だに手紙を書くのが好きで仕事でお世話になった人に一筆書くのが習慣の私は、文房具店で子供向けのハートやデフォルメされた動物のあしらわれたかわいいレターセットを見る度にそのことを思い出して、あの子は今どうしているのだろうかと、顔も曖昧だけれど手紙を送り合った子にどうしても思いを馳せてしまうのだ。

あの子もそうだろうか?忘れてるかもしれない。でもまあそれはそれでいい。私は覚え続けている。