コロナ禍は、私の社会人人生をスタートさせた時期だ。子どもの頃から早く仕事をしたいと思っていた私。とにかく働けることを楽しみに、社会人という大人の仲間入りができたことが嬉しくて、入社式は希望を持って臨んだものだ。

働くことになった分野は、常に需要のある仕事。人材不足と言われており、いろんな場所で求められている仕事でもある。それが故に、コロナ禍でも仕事がなくなることはない。むしろ人手不足が加速して1人でも多くの人材を確保したいと言われるくらいだった。

周りには、入社を遅らせたケースや、自宅でオンライン研修をするだけの人もいた。仕事がないうえにスキルも全くない新入社員は、働けず出勤扱いにはならないケースもあっただろう。仕事があるだけありがたいのかもしれない。自宅待機をしている人にとってはそう思う瞬間が幾度となくあったように思う。

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しかし、私は違った。
私は、常に仕事があった人だ。毎日出勤し、仕事をこなして家へ帰る。覚えることと求められていることでいっぱいいっぱいになりながらも、ひたすら毎日仕事に行った。緊急事態宣言が出ているときも、リモートワークが浸透していったときも、職場に出勤しては仕事をこなす。とはいえ、即戦力となる人材ではない。疲れが溜まっていき、リモートワークや在宅で過ごしている人がとてもうらやましく思えた。

仕事があって嬉しい、そう思えたときは一瞬もない。とにかく休みがほしいと思いながら過ごした。もちろん全く休みがないわけではない。週休はあるけれど、長期でまとまった休みがなかったのだ。新入社員のころは、一度立ち止まることが必要だった。一旦自分が置かれている状況を整理して、やるべきことや求められていることを一旦放り投げて、まったく仕事に追われない時間が欲しかった。コロナで仕事がない人もいるなかで、仕事がある状況に喜べない私がいた。

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そこから私は、働き方について考えるようになった。仕事とプライベートとのバランスを考える。仕事に打ち込むよりも、やってみたいことがたくさんあった。少しばかり生活が苦しくても、挑戦したいことが見つかり、満足できる生活が送れるようになることに重きを置いた。仕事は、毎日が充実していないと不満がたまる。ストレスしか溜められない仕事は、続けるべきではないと思い、退職を考え始めた。

今、実際に働き方を変えて、暮らしも変えて、良かったと思っている。コロナ禍で、会社に出社して働く方法だけでない働き方があると知る。在宅で、パソコンを使って仕事をできる方法があると知ったとき、やってみたいと思った。今はまだ、本業を続けながら取り組んでいるけれど、今後はパソコンを使った仕事を本業とし、自由に動ける私を実現したい。働くということ、出勤するということを崩す働き方。いろんな働き方があると知ったのは、コロナ禍があったからである。多様な働き方で、自分の満足できる方法を選択できる時代となった。

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コロナ禍は、私の働くという考えを変えてくれた。これまでずっと、どこかに雇われて、出勤して働くことだけが働くということだった。それが、この4年間でガラリと変わった。自宅で、カフェで、雇われないで働く方法があると知る。自分が働きやすいと思う方法で働けばよくて、満足できるならばなお良い。決して、働き方は1つではないと分からせてくれたのが、コロナ禍だった。

コロナ禍は、制限が多く、たくさんの当たり前を崩していった。それでも、新しい風を吹かせてくれたものも存在する。本当に自分がやりたいことを見つけ出し、チャレンジするきっかけをくれた。理想の暮らしや仕事との向き合い方を考えるきっかけになり、今の主軸となっている。これからも興味のあることには挑戦していきたい。そのために必要なチャレンジ精神も成長させてくれたように思う。

無駄ではなかったこの期間。糧になっている要素もたくさんあったコロナ禍だったからこそ、今の私は楽しく生きられているのだと思う。