「東京五輪が終わったら、会社を辞めてフリーで働くから」。
2016年春。私は、就職時、既に次の目標を掲げていた。
高校生の時から、ライターになるのが夢だった。マスコミ関係や一般企業の広報など、文章を書く仕事がある会社の就職試験を片っ端から受けたが、現実は厳しく、なかなか採用されなかった。約1年の就活期間を経て、何とか手に入れた内定先は、生まれ育った関西から遠く離れた、関東圏の地方企業だった。
当時、付き合って3年半になる彼がいた。大学卒業後は、地元の教育に貢献する仕事がしたいと、彼にも目指す道があった。学校や資格のテストが近づくと一緒にカフェで勉強し、就職に向け経験値を上げようと参加した講座やイベントについて語り、切磋琢磨して学生生活を過ごした。
「お互い夢をかなえて、支え合いながら温かい家庭をつくる」。自然と結婚を意識するようになった。しかし、私の県外就職が決まり、遠距離恋愛を余儀なくされた。「応援しているから、行ってきな。待っている」。背中を押してくれた彼に、私はフリーになるという新しい目標を宣言して地元を離れる決意をした。
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約束は、果たされなかった。新生活が始まり、日に日に減る、彼からの連絡。
分かっている、社会人になったばかりで、慣れない日常に疲労困憊だって。だけど、私だって同じ、ましてや、見知らぬ土地でひとりだ。心細いし、誰かに頼りたかった。かといって、誰でもいいわけじゃない。パートナーにいちばん、寄り添ってほしかった。
今までともに頑張ってきた仲なのだから。たとえ離れていても、心だけは。近くにいれば埋められる溝も、どんどん深くなっていく一方だった。
「もう、別れる?」遠距離になって2か月がたったころ。つい1週間前、GWの長期休暇を利用して帰省し、彼に会ったものの、一緒にいたいという思いを感じられなかった。意を決し、今後について話し合おうと持ち掛けた。
仕事が終わってからの電話は、深夜にまで及んだ。ただ、味方でいてほしいだけ。今までみたいに、明るい未来をつくるため、一緒に頑張りたい。午前2時。どれだけ思いを伝えても、彼の心に届いていない気がして、つい口から出た。
「うん、そうだね」。あっけない返事に、愕然とした。3年半という年月の儚さをじわじわと感じた。電話を切った後、涙が止まらなかった。ベッドの上でひたすら泣き続けた。
翌日、誰かに殴られたのかというくらい、顔が腫れていたがどうでもよかった。
人は裏切る、信じられるのは自分だけ。自ら選んだ道を肯定したくて、がむしゃらに働いた。結果を残したかった。約束した4年後には独立して、彼が知って後悔するくらい有名なライターになってやる。
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2020年、誰もが想像していなかった事態が起きた。コロナの感染拡大で、世の中が一変した。日本中が待ちわびていたであろう東京五輪は、異例の延期となった。
ゴールが急に消え、私はどこに向かって進めばいいのか、分からなくなった。人生最大の舞台を控えていたスポーツ選手に比べれば大した影響ではないが、私と同じように、五輪をひとつの節目にしていた人は、どこかにいるのではないか。
完全にタイミングを見失った私は結局、退職する踏ん切りがつかず、今も最初に就職した会社で働いている。ただ、あれから3年の間で結婚、出産と一気に人生の節目を迎え、想像もしていなかった今を生きている。
努力すれば、人生うまくいくと思っていた。浅はかだった。人生設計を立てたところで、描いた通りにはいかない。頑張るだけではどうにもならない時がある。現状を受け入れて与えられた場所でやるべきことをやるしかない。
捉え方が変わり、育児に家事、仕事と日々の生活で精一杯でも、私はかつての夢を諦めきれずにいる。迷い、落ち込んでいる暇はないのだ。いつ実現できるかなんて、分からない。そもそも、実現できるかも。それでも、どうしても手に入れたい何かがあるなら、うまくいかなくても、手探りでも、前に進むしかない。