マッチングアプリのプロフィール欄。下の方までスクロールすると出てくる項目がある。私はそれを、あまり飲まない、にしている。
そう、お酒の項目だ。全く飲まない、あまり飲まない、時々飲む、よく飲む、の四択だ。本当は全く飲まない、にしたいくらいなのだが、それは嘘なのであまり飲まないにしている。限りなく全く飲まないに近い、あまり飲まない、なのである。
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どれくらい飲まないのかというと、私は実家暮らしなのだがまず家では全く飲まない。一滴も、である。家にお酒がないわけではない、家族は飲んでいるが、私は特に興味がないので飲まない。家で飲む、という習慣がない。
となると、外で飲むことになるのだが、まあ週に一度飲めばいい、それくらいの頻度だ。
外で飲むと言っても、一人でいる時は飲まない。友達と会った時に気が向けば飲む。相手が飲んでいても、自分の気が向かなければ飲まない。
友達もそのあたりに理解のある人しかいない。飲むことを強要はしてこない。私がこんな感じだからか、酒好きであったり、酒豪みたいな人は友達にはいない。
この頻度というのは、お酒好きな人からしたら、かなり少ないかもしれない。以前はよく飲んでいたが、落ち着いた、というわけでもない。昔からこの頻度だ。大学生の時から今まで変わっていないと思う。
私はこの頻度で満足している。ここから更に減らそうとも思わないし、増やそうとも思わない。今が適切な距離感である。
なぜ私がそんなにお酒を飲まないのかというと、最大の理由は飲む必要がないからだ。そんなことを言ったら、キリがなくなる気もするのだが、端的に言うとそうなのだ。
必要がない、もしくは興味がない。私の人生において高頻度で出てくる言葉だ。お酒はそれにあてはまる。
ただ、必要がない、などと言っていると大抵のものはそうだろうという話になってしまうので、今回はお酒に限ってどういうことなのか説明したい。
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私とは逆で、お酒を飲む人は様々な理由でお酒が好きだと思うのだが、その理由の一つとして飲むことによって楽しい気分になったり盛り上がったりというのがある。飲みの席が好き、という人はまさにこれである。
私においては、お酒がその役割を果たさない。別にお酒を飲まなくても楽しいのだ。その場を楽しめる。これは私の性格によるものだと思う。そしてこれは、おそらく幸せなことだと今エッセイを書いていて気づく。
なぜなら、何かの力を借りなくても日常を楽しいと思えているからだ。飲まないとやっていられない、と言う人は厳しい現実から飲んでいるその間だけでも逃げたいという気持ちなのだろう。お酒を飲む人全員がそういった理由で飲むわけではないが、それでもそういう人は一定数いる。
以前、マッチングアプリの人と初めて電話をした時に全く酔っていないのに、酔ってるんですかと聞かれたことがあった。お酒など一滴も飲んでいないし、自分としてはいつも通りの感じで話していただけだったが。
そういうことだ。飲まなくても楽しい、ということが客観的に証明された瞬間であった。よく笑う私の性格が電話口で相手にそう思わせたようだった。
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つらつらと書いたが、たまたま私にとってお酒との適切な距離感がそんなに飲まないというだけであって、お酒をよく飲む人に対して否定的に思うことはない。私だって一歩違えばそうだった可能性がある。
だからどれだけ飲もうが、それは本人の自由であるが、お酒を飲んでいる時だけが幸せという人が、お酒以外にも幸せを感じることが出来たら良いなと思う。お酒は多分、人を根本的に救ってくれることはない。飲んだら楽しいが、飲まなくても楽しい、というのがお酒と人とのあり方においてベストなのではないかと思わずにはいられない。