金髪にするか、ピアスの穴を開けるか、タトゥーを入れるか。
私は定期的に、この3つで悩み始める。悩んで家族や友達に相談するのだが、実行したことはない。学生時代に一度だけ、インナーカラーといって内側だけ脱色して緑色にしたことがあるのだが、大人からはなかなか不評だった。こんなにお洒落なのに、なぜいけないの?
派手な外見への過敏な反応への居心地の悪さ
金髪にするとヤンキーだと思われる(らしい)し、ピアスを開けると「嫁入り前の子が…」と言われるし、タトゥーを入れると多くの温泉やスーパー銭湯は使えなくなる。
茶髪は許されるのに、金髪は許されない意味がわからないし、「親からもらった体を傷つけて…」と言われるけど、怪我ぐらい何度だってしたことがあるはずだ。そのような少し派手な人に、過敏に反応する人たちに対して、私は強い居心地の悪さを感じる。どうしてそんなに人に興味津々なの?
けれど、人に興味津々な人がいる一方で、例えば電車に乗っている時、信じられないくらい近くに立っていたり、身体がぶつかっても何の反応もしない人がたりする。また、スーパーなどで商品を見ているとき、急に目の前に立ってきたり、店員に横柄な態度をとったりする人も。
私はそのような人に遭遇するたび、この人は人を"ひと"ではなく"もの"か何かだと認識しているのではないか、と思う。
そんな経験をするたびに、矛盾や違和感を感じて仕方がない。
差異を受け入れ、差別と折り合いをつけてきたヨーロッパと日本の違い
2019年から留学で1年の半分以上をヨーロッパで過ごしていると、日本との違いが沢山見えてくる。
例えば、ヨーロッパ人といえばハグやチークキスといったスキンシップの文化がイメージできるけれど、パーソナルスペースは意外とかなり広いと思う。
急に真後ろに人が立ってることはまずないし(あったらそれはスリ)、手や腕がぶつかったら「おっと、失礼」と目があってニコッと笑う。全然知らない人とも、すれ違いざまに挨拶したり、車窓から綺麗な景色が見えていると「綺麗だね」と共有したりする。ヨーロッパ人は知らない人でも、当たり前に人を"ひと"として認識しているように思う。
また、横柄な態度の客もいなければ、へりくだっている店員も見たことがない。
私は、その背景に様々な文化と隣り合わせに生きてきたヨーロッパ人たちの、差異を受け入れ、差別と折り合いをつけてきた長い歴史を感じることができた。色んな髪の毛の色、色んな瞳の色、色んな肌の色。根本が違っているのだから、ここには基準は存在しない。だから余計に、日本でしか通用しない謎のルール(生まれつき茶髪の人は地毛証明を出す、男子は長髪禁止…etc)が、実に奇妙なものに思えてくるのだ。
自由にお洒落をして、自分を表現できる社会を願っている
だからヨーロッパは、なんだか居心地が良い。
こちらの人はどこから見ても東洋人の私に平気でドイツ語で話してくるし、私がドイツ語を話しても1ミリも驚かない。犬の散歩中のマダムは、豊満な体型に黒のタンクトップのミニ丈のワンピースを着こなし、胸元にはタトゥーがちらり。その横には湖をビキニで泳ぐおばあちゃん。
なんて自由なんだ。そんな環境の中では、色んなことがどうでも良く思えてくる。
もし私が金髪にして、タトゥーを入れて、ピアスを開けても、こちらの人は多分何も感じないだろう。なんなら褒めてさえくれそうである。
日本で自由にお洒落を楽しめるようになるには、もう少し時間がかかるかもしれない。
私はヨーロッパでマイノリティとして生きることで、自分の持って生まれた容姿を気に入ってしまった。
だから、もうそれをどういじるかでは悩まないけれど、いずれ若い人たちが自由にお洒落をして自分を表現するのを見たとき「いいじゃん、似合ってんじゃん」と言える大人になりたいし、それが当たり前の社会になることを願っている。