コロナ禍が私を変えたこと、それは人に対する不信感を抱えるようになったことだ。コロナ禍当初、私は薬局事務をやっていた。対岸の火事だと思ってたコロナウイルスがとうとう上陸し、イベントは軒並み自粛、医療も受診控えが顕著になった。受診控えも長くは続かず、ちらほら少しずつ、いつもの患者さんが様子を伺いながら来局するようになった。

だがこれまで通りの薬局ではなくなっていた。
医療従事者に対する差別が遅れて生まれ始めたのだ。いわれのない差別の目は、日々懸命に患者さんの対応をしている大病院のスタッフ達…だけではなく小さな町の診療所、さらには薬局にも向けられるようになった。今は緩和されたのでどこの医療機関でも受診できるが、その当時コロナは大きい病院で診察することがほとんどで、町の診療所・薬局にそういった患者が来る事は少なかった。

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ホテルライクな親身に寄り添う接客をするよう、私たちは会社に常日頃求められていた。
コロナが流行してしばらくのこと、保険証が切り替わっている患者さんがいた。仕事上保険証を毎月、薬局事務は確認しなければならない。会社のルールに従って、その患者の足元に、跪いてお伺いを立てにいった。
するとその患者は、あからさまに私から体をよじって距離をとった。肝心の保険証も投げて寄越した。
末端の、それも医療資格のない事務の私ですらこんな対応を受けるのか。その時点で私は人に対して思い込みでこんなにも変わってしまうのだと愕然とした。単純にショックだったし、仕事に対する多少あったモチベーションも最底辺に近いところに落ちた。
確かに医療機関には様々な病原菌があるのは事実ではある。そういった意識は大切だ。(正直その意識をまだ今も持ってもらいたい気持ちはある……)
ただ相手を蔑ろにしてまで医療機関に来たいのか?
その患者はその後薬剤師とも話したがらず、遠くから薬を引ったくって帰った。その際1種類薬を忘れていったが、退職するまで何も言われていない。

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さらに人がどれほどメディアに流されやすいかに呆れてを通り越して、笑いが出てしまう出来事があった。
「うがい薬がコロナに効く」と、自信に満ちた顔でカメラに向かって話すとある知事。速報を見て鵜呑みにした人々が、街にイソジンを探してさまよっていた。

ちょっと考えてみて欲しい。喉からくる風邪で一時的に殺菌するうがい薬で、一時的に効果があるのかもしれないが、その効果はずっと続くものだろうか。
落ち着いて考えればなんてことない事実も考えもせず、人々は鼻息を荒くして町のドラッグストア、薬局のうがい薬といううがい薬を狩り尽くしていく。この様な人々を在庫処分のきっかけと思い、なかなか動かなかったうがい薬を陳列したところあっという間に在庫がはけた。この騒動は肝心のうがい薬が早々に制限をかけられたことで終わった。今でもぎらついた目でうがい薬を探す人たちが記憶に残っている。人ってこんなにも情報に左右されやすいんだっけ。

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この医療従事者差別もうがい薬騒動も、メディアの情報を誤って受け取り、かつ実情を調べようともせず鵜呑みにしてしまった人たちの存在が、原因の一つであると思っている。鵜呑みにしてしまう状況の原因はやはりコロナという非常事態だった。
非常事態などに人の本性が出る、それを体感してしまった私はもう以前のように人をフラットに見れなくなってしまった。
この人の主張には何か裏があるんじゃないか、相手の望みを楽に叶えるために今自分はこき使われているのか。そう思い始めたらやり場のない微妙な怒りがくすぶり始めた。
患者にこんな風にこき使われて、私は何をしているんだろう?
退職した今、改めてコロナ禍の薬局は風邪でオンシーズンだった薬局と違い、何か常にじりじりと追い詰められている切迫感と焦燥感があった。自分の心をすり減らして仕事をしていた。
生きていく以上人と関わっていくことが欠かせないが、正直人のエゴに振り回されたくない気持ちの方が圧倒的に強く、人を歪んだフィルターで見る様になってしまった自分がちょっと残念だ。