この4年間で、人生の大きな転機を迎えた。それは、教員を退職したことだ。

◎          ◎

27歳の時に教員採用試験に合格した。私は学生時代、運動部でキャプテンを務めていた。その中でリーダーシップを発揮したり、後輩に教えたりすることにやりがいを感じ、その経験から教員を志すことになったのだ。

合格に至るまでの経緯は決して楽なものではなかった。大学4年生のときに精神的な病を発症し、寝たきりに近い状態の時期があった。卒業を機に地元に戻り、信頼できる医師と出会い、家族や友人の励ましを受け、引きこもりに近い状態から教職に就くことができた。絶望的な状態から考えるとまさに奇跡である。

合格するまでに講師として働いていた学校では、教員としての資質は十分にある、あなたにしか出来ないことがあるから是非頑張ってほしい、と評価されていた。

◎          ◎

しかし、新任として採用された学校では、劣等生扱いされた。やることなすこと全て否定されたり、教室内で同じ授業を担当していた先輩から無視されたりもした。私を数年苦しめた精神的な病の足音が段々と近づいてきたときに、逃げるように転勤希望を出した。学校を去る直前、「教員続けるの?」とお局的な人に嘲笑しながら聞かれた。

講師時代に勤めていた学校に帰る形で転勤した。おかえり、つらかったねと労いの言葉をたくさんもらった。仕事ぶりも評価された。でも、初任校で傷ついた心はまだ癒えていなかった。

とにかく疲れるのだ。毎日疲れているし、休みの日も出かけられず寝てばかり。先輩から少し注意を受けただけで、ものすごくショックを受けて時に涙が出る。そもそも、教員は定額働かせ放題だ。休憩時間もまともに取れ、給食を早くべなければならぬ状況が、私の弱った胃腸をさらに不調に追いやる。

教頭に、労働規則として提示されている休憩45分を取れないか交渉した。長時間労働の中でも、まとまった休憩時間が取れれば、違うかもしれないと。「規則で決まっている休憩が取れない現状は確かに良くない。でも、あなただけ特別に認めるということはできない」
この一言で、ぷつんと何かの糸が切れた。

「ああ、これ以上続けたら、本当におかしくなる。辞めよう。」

◎          ◎

32歳、福祉職でリスタートを切った。教員時代に比べ年収は激減したが、時間と心の余裕ができ、生活が豊かになった。

今まで金銭面の豊かさこそ生活の豊かさであると思っていたが、それは勘違いであった。教員時代は、いつまでに、何ができるように、どのような手立てで指導していくかという計画を立てる。一人の「人生」がかかった指導計画、それにプレッシャーを感じていた。

もちろん福祉の世界でも個別支援計画などの作成はあるが、私が今いる場所では、計画通りにやらねばという頭にならずに、人と人との関わりを持つことができている。指導するより、寄り添って支援するほうが私には向いていたようだ。

「せっかく試験に受かったのに」「公務員を辞めるなんてもったいない」そんな声も聞こえてきたが、今は笑って受け流せる。私はこの4年間で、健康で豊かに生きていける道を見つけることができた。自分の健康なしに、人に与えることはできない。

教員になって、教員を辞めて転職したからこそ、気付けたことなのだ。