父が出張に行った。
長野県だったか新潟県だったか、詳しくは覚えていないがそばが美味しい県だったと思う。

一泊二日の出張から帰って来た父に、母は「昨日の夜は何を食べたの?」と聞いた。
父は、チェーンの和食店の名前を挙げて「天丼を食べた」と言った。

それに対して母は「もったいない!」と叫んだ。
「せっかく遠くに行ったんだから、駅前とかでご当地のそば屋でも探せばよかったのに!」
父は「天丼が食べたかったんだよ」と何でもないように答え、母はしばらく「どうして?」「もったいない」などとぶつぶつ言っていた。

私はその会話を聞きながら、珍しく父に共感した。
基本的には趣味も得意分野も違う、気の合わない父だったのだけど、旅先での食事については父からの遺伝を感じた。

◎          ◎

大学生になってから、私は何度か一人旅をした。
旅の目的は観劇のための遠征旅行だったり、父と同じように仕事のための出張に行ったりしたこともあった。
そして、これまでの旅の中で、私はほぼ毎回チェーン店で食事をとっている。

もともと、一人で外食するのが下手なのだ。
苦手ではなく、「下手」。

一人で食事をとるのは好きなのだけど、食事中は目の前のごはんに集中して一気に平らげてしまう癖があるので、お店でゆっくり食べることがなかなかできない。

カフェで一杯のコーヒーを前にゆったり時間を過ごしたり、気の利いた居酒屋さんでおつまみとお酒を楽しんだり……。憧れる「一人メシ」の図は、私にはかなりハードルが高い。
恥ずかしいというわけではなく、なんとなく間が持たなくなってサッサとお店を出たくなるのだ。

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さらに、「移動が苦手」という特性もある。
旅行やおでかけ自体は嫌いではないのだけど、移動ですぐに体力や気力を消耗してしまう。

だからこそ、慣れ親しんだチェーン店でほっと一息つきたいのだ。

チェーン店なら食事の提供時間も短いし、サッと食べて出ていける。
味もよく知っているから当たり外れはないし、お店の雰囲気はどんな感じか、注文方法はどうなっているかとソワソワする必要もない。

簡単に短時間で食事を済ませたら、あとはホテルの部屋でのんびりしたい。
旅の疲れやストレスを癒しつつ、誰の視線も気にせず一人きりの時間を味わいたいのだ。

父の行動に「もったいない」と苦言を呈していた母は、実際のところ家族の中で一番の出不精で、私や父の半分も一人旅をした経験はない。
家族旅行に行ってもあちこち見て回ることはなく、宿泊先の部屋かその辺のベンチでじっとしていることが多い人だ。

だからこそ、母の楽しみは「食事」に限定されていたのかもしれない。

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私が旅先でご当地の食事を重視するようになったのは、パートナーと旅行することが増えたからだ。
一人だと一刻も早く休みたいという気持ちになる場面でも、パートナーといると「非日常を楽しみたい」という欲が出てくる。

未来を意識するようになって、「この場所に訪れることはもうないかもしれないから、行きたいところに行って食べたいものを食べておこう」という気持ちが芽生えてきたことも理由のひとつだ。

パートナーと「おいしい!」と言い合える瞬間をたくさん味わいたいと思うと、自然に、食べたことのない地域の飲食店に入ってみたいという気になるのだ。

パートナーと暮らし始めてから、実家の両親に「この地域の××というお店がおいしかったよ」と頻繁に報告するようになった。
出不精の母は「いいね」としか返事をしてこないけれど、かつては食事に無頓着なように見えた父は「来月その地域に行くから、そのお店に行ってみるよ」と返ってくることが増えた。

少しずつ、少しずつ、私たちは、まだ見ぬ「おいしいもの」に手を伸ばそうとし始めている。