袖がふわっとしたトップスに紺色のスカート、柄物のワンピース、麦わら帽子。
服へのこだわりがさほどないはずなのに、どうしても欲しい服があった。
多分どこかで誰かが着ていて、可愛いと思ったのだろう。
値段も高くないし、試着しても変じゃない。
買っちゃおう。
でも誰がどこで着ていたんだろう。
ショッピングモールを歩きながら、あの時はどうしても思い出せなかった。
◎ ◎
母親が苦手だった。
些細なことでイライラして、キレると何をするかわからない。
言葉がきつく、言い返そうものなら10倍くらい反撃される。
父親の転勤を理由に働かない、なのに口癖は「うちは貧乏だから」。
幼いながらに母親の精神状態に左右されていたのだろう。
私は爪を噛む癖をやめられず、爪の脇の肉まで食いちぎっていた。
門限やルールが厳しく自由がなかったので、友人と遊ぶときは必ず嘘をついた。
「はるちゃんはお母さんに似てきたね」
そう言われる度「あんな人間には絶対にならない」と思春期の私は内心毒づいていた。
「はるを抱っこして、こうやって散歩したなぁ」
私は娘を出産後、体調を崩し実家に帰った際、母と一緒に夜散歩に出た。
街灯が明るく照らす道を、私と母と4か月の娘の3人。
「はるは本当に可愛くてな……」
まるで昨日のことのように母が語った過去は、私の知らないものだった。
母の本当の母、私の祖母は母が7歳の時に病気で亡くなり施設で育ったこと。
父方の祖母はだらしなく、産褥期の母に義家族7人分の家事をさせていたこと。
日中は家事、夜は私の夜間授乳や夜泣きで激やせし、悪露が止まらなかったこと。
父の転勤で長期間働くことがかなわず、せっかく取得した調理師免許も生かせなかったこと。
頼れる実家もなく、夫も助けてくれない。
私がそんな状況なら、絶望して自殺していたかもしれない。
「私ははるを産んで良かった。楽しかったよ」
聞くだけでも辛いのに、彼女はそう言った。
娘が泣き始めて良かった。
泣き顔を見られずに済んだから。
◎ ◎
アルバムをめくる。
母が私と年子の妹の手をつないで笑っている。
義実家にこき使われても、専業主婦でお金の自由がなくても、母は私を愛していた。
どの写真からもそれが伝わってきた。
働かずに家にいてくれたから、私が体調を崩した時はすぐに学校に迎えに来てくれた。
学校から帰るとクッキーやパウンドケーキを作って待っていてくれた。
子供ではなく一人の人間として扱ってくれた。
もっと母の立場になってあげられていたら。
転勤がなかったら、祖母とうまくやれていたら。
それまで考えたこともなかった考えで苦しくなる。
ふと母の服装に気が付く。
袖がふわっとしたトップスに紺色のスカート、柄物のワンピース、麦わら帽子。
無意識に店頭で惹かれたそれらは、タンスに並ぶ服にどれも似ている。
本当に嫌いだった母を、私はずっと大好きだった。
◎ ◎
不思議なことに私も転勤族の主人と結婚し、現在は専業主婦で8か月の娘を育てている。
いつ転勤になるかわからない、近くに頼れる家族がいない、仕事がしたいがいつまで続けられるかわからない。
きっと、母もこんな風に悩み精神的に参っていたのだろう。
母に言われたことはいまだに心に突き刺さっているが、以前ほど痛みはなくなった。
むしろ母のようになりたいとさえ思う時さえある。
「お散歩に行こうね」
20代になった時、娘も私に似た服を選ぶのだろうか。
これから私は、どんな母親になるのだろうか。
母が着ていたものと似た服を着て、私はいま母親をしている。