恋が「終わる」のと、恋を「終わらせる」のでは、全然違う。「終わらせる」のは必ず自分本位だ。まだ終わっていなかった恋を終わらせるとはどういうことか、私なりに考えてみた。

◎          ◎

そういえば私は恋を終わらせた経験があっただろうか。…あった。これは学生時代に付き合っていた恋人とのこと。私にしては長い期間付き合って、でも卒業しても続けたいとは思えなくて、卒業前に私から別れを切り出した。これが「終わらせた」経験ではない。

それから数年経って、彼に久しぶりに連絡をする機会があり、流れで一緒にごはんを食べることになった。2人ともフリー。ほとんどの人が復縁を想像しただろう。

かつて長い時間を共に過ごしただけあって、久しぶりに会っても変わらず気が合った。気心の知れた、という感じ。こんなにも居心地のいい時間は久しぶりだった。当時の私は仕事が原因で心身ともにボロボロの状態、同業者の彼は相談相手に申し分ない存在だった。久しぶりに会って以降、月1、多いときは週1で会うようになった。相変わらず仕事でボロボロの毎日、でも彼と過ごす時間だけは穏やかでいられた。

◎          ◎

春に再会、そこから定期的に会うようになり、私は秋から仕事を休職。クリスマスは一緒には過ごさなかったが、お正月には2人で初詣に行った(おいしいケーキを買ってきてくれた)。次の春がやってきて、私は前の仕事を辞め新しい分野に進んだ。お互いに忙しくなって会う頻度は減ったが、それでもたまに会って近況報告をした。

お酒を飲んで酔っ払い、手を繋いだ。ありがとう、と言ってハグをした。でも「付き合おう」はなかった。何度か私から「付き合わない?」と言った。言ったというか、聞いてみた。彼は困った顔をして笑い、私が「違うのね?」と聞くと「うん」と答えた。

タイミングの問題か、何か彼なりに理由があるのか、理由はわからなかったが、彼が女を「キープ」するような人ではないことだけは確信を持てたから、彼の「違う」を受け入れた。

でもその関係にも限界があった。というか私が耐えられなかった。付き合わないちゃんとした理由を聞かずにはいられなかったし、ちゃんとした理由がないなら付き合ってもらわないと、もう私の中の「好き」が暴れ出しそうだった。

◎          ◎

その日私は「今日は(付き合わない理由を)ちゃんと納得させてくれるまで帰らない。」と宣言した。彼は心底困った顔をした。かなり粘った。何度も問い詰めた。ものすごくためらった後、彼は「きみのことは大切だから、幸せになってほしいと思う。でも幸せにするのは自分ではない」と言った後に「きみに優しくしたのは自分本位の行動で、優しくしている自分に満足していた。正直再会したときにきみが弱っていなかったらもう一度会うことはなかったと思う」と言った。恋は終わった。私が終わらせた。

その時私はとても後悔した。こんなことをした自分を責めた。私があんな言い方をしなければ、お互いに傷つけあうこともなかったのに。

でも今になって思う。この恋はこうやって終わらせる必要があった。自分を正当化しているだけかもしれないが、人間そんなに器用ではないのだ。少なくとも私は器用ではない。

終わらせたから前に進めた。彼のことは今でも大切だ。理由がどうであろうと、あの時の私を救ってくれたのは紛れもなく彼だから。いい人のふりをできる人はいい人なんだ、と私は思う。