「ある恋を終わらせた」

この1文を読んだときに、何を想像しただろうか。
恋人との関係に終止符を打つこと、つまり別れること。
恋を終わらせて、愛にすること。

「わたしの恋の終わらせ方」というテーマから、私が真っ先に思い浮かべたのは、恋人と別れることだった。私が「距離を置こう」と別れを告げた時もあったし、恋人とのデート中に手紙を渡されて、それが別れのメッセージだったという経験もある。

ただ、「昔好きだった恋人との別れのエピソード」なんて、悲しくなるだけだ。
どの別れも後悔していない。別れたことが正解だったと思っている。
全て私の人生経験として大切であったし、別れがあってこそ、今の私がいる。
だから、今回は少しハッピーな話がしたい。

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どんな瞬間に恋の終わりの音が聞こえて、それが、愛になったことがわかるのか。
誰かを愛するって、どんなことなのか。
そんな、恋の終わりと愛の始まりについて書いてみたい。

愛になる手間、恋の終わりとは何だろう。
少し長く付き合っていると、誰しもぶつかるのが、「貯金いくらあるんだろう」問題だ。
その名の通り、恋人の貯金額が気になってしまうこと。

付き合って、デートを重ねていくと少しずつ、相手の金銭感覚が分かってくる。
職場でのランチにどれくらいの値段をかけているのか、飲み会にどれくらいの頻度で行くのか。

靴へのこだわりや、好きな洋服ブランド、食事など、何にお金をかけて、何を節約する人なのか見えてくる。
相手の勤め先と年齢さえ分かっていれば、インターネットを駆使して、相手の年収も推定できる。
ただ、どんなに相手を観察しても、情報収集しても、どれくらいの金額を貯金してるのか、は分からない。

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「恋は盲目」と言うけれど、相手の貯金額を気にし始めたら、それは「恋は盲目」の時期を突破したことを意味すると思う。お金のことが気になるのは自然なことだ。

ただ、相手の貯金額が少ないと分かったときにでさえ、その相手との将来を信じ続けられるか、が大切であって、愛に変わるかどうかのターニングポイントなのだ。

今お付き合いしている恋人が住む部屋が、賃貸契約更新の時期になったから、「次は一緒に住もうよ」と言われた時、私は正直かなり迷った。私は結婚に憧れていない人だ。

結婚してもいいし、しなくてもいい。好きな人と時間を過ごせたらそれでいい。
同棲=結婚とは思っていないけれど、一度誰かと同棲をして、「上手くいかなかった」と別れて、また一人暮らしをして、いつか他の誰かと同棲するのは避けたい。

誰かと一緒に住むのなら、結婚という形にはこだわらないけれど、その人と人生を歩むという覚悟を持ちたい。
別居を続けたまま交際する、事実婚をすることも、素敵なパートナーシップの形だと思う。
私も正直、大好きな人に同居を強要したくはないし、歩いて行ける距離に別居したほうが、会うたびにデートの気持ちがして、愛が深まる気もする。

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「一緒に住もうよ」という提案を断った時、彼はものすごく傷ついた。私はこれをきっかけに別れてしまうんじゃないかと泣いた。

彼は、遊びではなく、真剣な気持ちで同棲を提案したにもかかわらず、「今同棲してそれでもいつか別れて、訳あり女になるのが怖い」と彼女に断られてしまったのだから。
ただ、面と向かって、「これとこれが嫌」と言えた時、それはある意味、恋の終わりだと思う。相手が求めることだけを言い、相手が笑ってくれるようなことだけを口にする、恋のフェーズはもう終わり。

相手からの「これが嫌」「こうしてほしくない」という気持ちに対して、自分なりの意見を言いつつも、「はいはい」とニコッと微笑みながら、返事ができるようになったら、それは愛だと思う。

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同棲を断った後、彼の新居への引っ越しを手伝いながら、「私、本当に好きな人だったら、こんなこともできるんだ」と愛のパワーに驚いた。

だって、真夏の暑い日に、電気も止めてしまった、エアコンをつけられない、引っ越し前の家で、汗だくになりながら部屋の掃除をし、「なんでこんなに箱とっておくの!」と文句を言い、「タブレットとか、もしかしたら売るかもと思ったんだよ」と苦笑いする彼の目の前で、ひたすら電化製品の箱と頑丈な発泡スチロールをつぶし、十数個のごみ袋を完成させていた。

まだ2回しか履いていないほぼ新品のストッキングは、引っ越し手伝いのせいで破れてしまったし、旧家と新家の間を何度も往復して、疲れ果てていたけれど、文句を言いながらも、最後はやっぱり笑顔でニコニコしていられるのだから、これがきっと愛の始まりなのだと思う。