「死ぬんが怖いんか」。先生は意図の見えない話の後に切り出した
小学6年生のとき、担任の先生にパントリーに呼び出された。
パントリーとは、廊下の突き当りの角を曲がったところにある小さな部屋で、給食が運ばれてくる場所であり、悪さした生徒が怒られる場所でもあった。
みんなの前で、「ちょっと、パントリーに来て」と呼び出された私は、怒られる心当たりもなく、クラスメイトは優等生がパントリーに呼び出されたとざわついた。
パントリーの小窓から外を見ながら、先生は自分の車の話や、ナンバープレートの番号が嫁の誕生日であることを話した。正直、話の意図が見えなかった。
少し黙ってから、先生は続けた。
「死ぬんが怖いんか」
ふと、修学旅行についての事前の保護者アンケートで、母が「死ぬのが怖いと言って夜眠れません」と書いていたのを思い出した。
「大丈夫や。お前のことは先生もお父ちゃんもお母ちゃんも守ってくれる。お前が、おばちゃんになったら知らんけどな」
先生はそう続けた。
死んだらどうなってしまうのだろう。霊と噂されるものは何なのか
当時の私は、死への恐怖が人よりも強かった。忘れもしない小学5年生の時、担任の先生の話からそれは始まった。
「みなさん、どんな死に方をしたいですか。事故死?病死?老衰?」
そして自分の死にたい方法に手を挙げるように言った。私を含め、ほとんどの生徒が老衰に手を挙げていた。朝から衝撃的な話だった。
「先生はね、事故で痛みもなく一瞬で死にたいですね。歳取って自分が誰か分からなくなって死ぬんは嫌です」
最近、先生の近所で孤独死した方がいたらしく、その死体の状態についても先生は言及した。その様子を想像してしまって、私は死ぬのが怖くて、眠っている間に死んでしまったらどうしようと夜が苦手になった。
死んだらどうなってしまうのだろう。脳が動かないから、とりあえず意思はないのだろう。じゃあ、霊と噂されるものは何なのだろうか。
目の手術のため、全身麻酔をしたことがあった。小学校低学年のことだった。
点滴用に刺した腕から伸びる管の先に、看護師がなにやら液体を取り付ける。
「楽しいお薬、入れますよ~」
次の瞬間、目を開けると、酸素マスクをして病室で眠っていた。まるでドラマでいきなりシーンが変わるように、私は何時間か後にタイムスリップしていた。というより、その何時間かが無くなっていた。もしもあのとき目が覚めなければ……それが死という状態なんじゃないか。私は無になるのが怖かった。
死ぬのが怖いと言っても、一年もすれば死への恐怖を忘れていった。弟が自殺未遂をした時は、この世で死ぬほどのことがあるのかと心の中で思った。
孤独で楽しくない日々。初めて「死にたい」の言葉が横切る
ある日の夜更けだった。
眠っているのに、心臓がドクンと胸を打って目覚めた。それから気持ち悪さが押し寄せてきて、私はトイレでひたすら吐いた。
仕事で残業や休日出勤が続き、オフィスでは上司の怒鳴り散らす声が響き渡っていた。雑な引継ぎ資料が与えられ、スピードと正確さを求められ、知識もほとんどないITの業務を、何時間かごとに上司に急かされながら仕事に励んでいた。
ベッドに寝転び目を閉じると、今日が終わった安堵ではなく、明日への不安が押し寄せる。耳元でドクンドクンと心臓の音が聞こえる。何時間も漠然とした不安につつまれて、寝なきゃいけないのに、気づけば外が明るくなっている。
家と職場だけの往復、週末は疲れて何もできずに一日が終わり、誰も片付けてくれない洗濯物とシンクに入ったままのお皿。在宅勤務の日は、誰と話すこともない。あっても業務上の会話だけ。
このまま、こんな孤独で楽しくない日々が続いていくのかと思うと、人生で初めて、「死にたい」の言葉がすっと頭を横切った。
誰も助けてはくれない。子供のころ、あんなに死ぬのが怖くて眠れなかった私が、大人になって、眠れなくて死にたいと思うだなんて……。
「死にたい」と思うのは、自分の人生を生きられていないから
それから体調はどんどん悪くなり、在宅で仕事をしていても、気持ち悪くてほとんど食事が取れなくなった。病院では適応障害と診断された。
仕事を休んで2〜3ヶ月すると、体調は良くなったが、死にたいという憂鬱な気持ちが回復するまでには身体の倍の時間を要した。そして先月、退職届を提出した。
もしも今、毎日が辛くて、未来に希望が持てなくて、死にたいと思う人がいるのなら、それは自分の人生を生きられていない証拠だと思う。子供のころには気づかなかったしがらみに巻かれて、動けないと思い込んでいるのではないだろうか。
あなたを助けられるのはあなただけです。どうか、あなたを助けてあげてください。
誰かがあなたを助けられるように、辛いと声をあげてください。