街で、肌の真っ白な人を見ると悲しくなる。夏の日差しの強い日に、その透けるような白い肌を見せつけるかのように、露出の多い服を着ている同年代の美女を見ると、その悲しさはMAXになる。
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自分の持つ肌との格の違いを、思い知らされるからだ。私の肌はもともと白くない。露出するような服を着るどころか、日焼けするのが嫌だから夏はかえって肌を見せたくないくらいなのに。それでも、それほど日差しに気を付けていても、もとから肌の白い人にかなうことはない。
いくら私が日焼け止めを毎日塗るのを怠らないようにしても、晴れでも曇りでも日傘を常に差すようにしても、私の肌は真っ白になることはない。これは、ここ数年で実証された。というのも、大学生になってから、日焼け止めの2度塗りや、真夏になる前から日傘を使うことを、頑張ってみたことがある。例年より、ほんの気持ちだけ、肌の色はかすまなかったかもしれない。けれど、目覚ましいほどの変化はなかった。
もともとの肌質は変えられない。生まれ持っての体では勝負できない。遺伝には負ける。
肌が白い人と、自分の肌とを見比べて、そう思うのだ。
そして、努力して美白を手に入れようとすることが、馬鹿らしくなってくる。
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ところで、お風呂は嫌いではない。大好きというほどでもないので、各地の温泉に行こうとか、湯めぐりをしよう、とかそれほどの熱意はない。それでも、シャワーだけで風呂を済ませずに、お風呂を沸かして入る日が推定200回/年(?)である程度に、お風呂が好きだ。
1年の200回のうち、17、18回くらい、自分のお腹を見て驚くことがある。
「え、私のお腹、白い」と気が付くからである。お腹を出すような派手な服装を、まずすることのない私にとって、自分のお腹をまじまじと見る機会はない。
だからお風呂に入って、ふとした瞬間に自分の全身を見て、腹囲とその周辺部分だけは他よりも色が薄いことに驚く。
「服の下に常に隠されて日に当たったことのない肌というのは、こんな白いのか……!というか、本来の自分の肌はこの色なのか……!」
赤ちゃんというくらいだから、生まれた瞬間の肌の色は血管が透けて赤みがかっていたのかもしれないけれど、日に当たることなく過ごした肌は、このお腹の色のようになるはずなのだ、きっと。自分の肌の白さのポテンシャルは、意外にもあるのかもしれない。お腹だけは、こんなにも白いのだから。
本来は、全身がもっと白い肌なのだ。もっと全身、白くなれるはずなのだ。
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そんなふうに、1年に17、18回くらいお腹を見つめて、考えてしまう。そして、「今年こそは、日焼け止めを塗って、日傘をさして、ビタミンをとって、化粧水を塗り込んで、焼けないようにしよう」とも。
どんなに努力しても、生まれ持った体質は変えられない。もとから白い肌を持つ人にはかなわない。それは、思い知らされている。
美白を追い求めるのは面倒だ。何回も日焼け止めを塗り直さなければいけない。日陰の下をくぐって目的地までたどり着くルートを考える。軽くはない傘を持っていくことは煩わしい。
しかし、自分のお腹を見て、たまに、もうちょっと頑張ってみよう、と思うこともあるのだ。
自分で自分に、励まされている。