今日もお風呂場の鏡とにらめっこをする。
昨晩見たばかりの自分の身体と比べながら。

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高校生の頃、自分の体形の変化に過剰に反応していた時期があった。頭の中で作り上げられた理想の身体になるために、無理なダイエットをしていた。

自ら決めた厳しい基準をクリアして、体内へと入ることを許可された限られた食材しか口に入れず、水分もろくにとらず、食事の前はいちいちカロリー計算をする。

心配してくれる家族の言葉には耳を貸さず、なぜ私のことを理解してくれないのかという間違った苛立ちを増幅させていくだけだった。

悲劇のヒロイン気分で孤独を嘆き、涙を流した夜もあった。

そのような生活を送っていた当時の私にとって、お風呂場で鏡を見ることは苦痛で仕方がなかった。しかし、その一方で自分の努力を認めさせてくれる唯一の場所でもあった。

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 今日、あれとあれを食べることを我慢したことが、明日、私をより魅力的にさせてくれる。

どんどんと変化する身体を見て、成果を確認することしか、自分を肯定する術を知らなかった。たった2,3か月で大嫌いなお腹のお肉はすっかり落ちて、皮と骨だけしか付いていないような姿になってしまった。

お風呂場の鏡の前に立ち、つまむところもないお腹をつまんでみたり、出てきたあばら骨を指でなぞってみたりする。そしてまた、食事制限をする理由を探すのだ。

前よりもかわいい。今の方がきれいな身体になっている。もっと、もっと。

理想の体型を目指すうちに、いつしか身体だけでなく、心もガリガリに痩せ細っていった。

イライラすることが増え、自分にも他人にも優しくできないことが多くなった。

ある日、とうとう高熱が出て身体を壊してしまった。

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 私の身体のまだ壊れていない部分が、壊れかけている私に、最後の警告を与えてくれたのである。それは無言であるにも関わらず、非常に強い意志を持ったものであり、加えて説得力のあるものでもあった。

その日から、私はようやく罪悪感と向き合い、闘う決意をしたのである。

初めのうちは、食事をするたびに襲ってくる後悔に、幾度となく潰されそうになりながらも、まるで食べないと罰ゲームが待っているかのような気持ちで、食べていた。

その時、お風呂場の鏡に映る私は、ひどく情けなく、以前の身体に戻りたいと思わせるものだった。これまでの頑張りが消えていく。すぐには受け入れることができない現実が、日々突きつけられるのだった。

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そんな中でも、徐々に食べられるものリストに加えることのできる食材が増えていった。休み時間に不意をついてお菓子をくれるクラスメイトにも、素直に「ありがとう」と言えるようになった。今日ぐらいは食べてもいいかなと吹っ切れることのできる瞬間が訪れることがあった。

そうして徐々に、食べることへの楽しみを思い出し、そんな自分の気持ちを認めてあげることができるようになっていったのだった。

体調も回復し、標準体重へと戻りつつある今でも頭の中でカロリーを計算してしまうことがある。体型について悩むこともある。友人と行くカフェのメニューを事前に調べ、食べるものを決めていくことも。

どうやら、しつこくつきまとうこれらの感情とは、もう少し付き合っていかなければいけないようだ。

お風呂に入り、鏡と向き合う。

ぷにっとつまめてしまうお肉に、食べすぎるとすぐにぽこっと出てしまうお腹、今にもくっつきそうな太もも。

今日の身体も、私は好きだ。