東京で暮らして、東京で働いて、高い家賃や税金を払って、自分1人だけの力で生きている。そのことだけが私を支える夜がある。

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私と東京の関係を一言で言うと、「近くて遠い憧れの人」だ。

隣の家に住んでいるけれど、年が離れていて、経験もセンスも何もかも絶対に追いつけることのない、ご近所以上、幼馴染未満のような存在。

そう、私が生まれた千葉の某所と東京は、正直快速電車を使ってしまえば1時間弱で繋がる距離だ。

離島から東京へ上京して一人暮らしを始めることと、 首都圏である千葉から上京して一人暮らしを始めることは、 ただ文字列だけみても、後者の方が簡単で、楽なように見える。

近くて、遠い東京。

不思議なことに、人間というものは最初から手に入れられないと解っているよりも、 もしかしたら手に入れられるかもしれないのに手が届かないものにこそ、より焦がれて執着するのかもしれない、私にとって、「東京」とは、まさにそんな場所だった。

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わかりやすくドラマチックな上京物語なんてない、別に実家に居座っていたって片道1000円くらい払えば簡単に東京の「旨み」だけは味わえる距離。

それでも、私にとって東京はずっとずっと遠い場所で、ずっとずっと憧れの場所で、ずっとずっとある種の「ステータス」なのだ。

とある事情から実家に帰ることができない私にとって、 自分が生まれ育った土地になんの感慨も感謝も思い入れもない私に撮って、

「あの東京で」1人で食い扶持を稼いでいるということは何事にも変えがたく、そして絶対に手放したくないステータスの一つだ。

渋谷、原宿、恵比寿、六本木…職場の定期内、もしくは定期に178円くらいプラスで払えば、私はワイドショーの話題の発生源にいける。 

そして、税金だって自分の力だけで、払える。誰の手を借りなくとも、私はここで、東京で生きていける。その思いが何度でも私を奮い立たせてくれる。

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ここまで書いていて気づいたけれど、なぜだろう?

東京という地は「誰かに頼らないほど強くなれる」気がするのだ。

 こんなにも沢山人が溢れている場所なのに、 1人で頑張れば頑張るほど、東京にいる意味が増すような気がする。

もしかしたらそれは、田舎とも言い切れない本当に中途半端な地方から上京してきた私が、 都合よく見出したい東京の姿かもしれないけれど、そんなふうに、東京には色んな理由や背景から東京に辿り着いた人たちに対して、「あなたがそれで納得できるならそれでいいよ」と言ってくれるような底のない懐の深さがある、気がする。

私は、この街に来てから誰かに「東京にいるのが辛い」と吐き出したことなんてない。

だって、私にとっては本当は帰る場所である地元こそが、地獄の釜のようにぐらぐら煮え立つ辛さをもった場所だからだ。

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東京という場所に、生まれ育った人の気持ちをたまに考えて「本当に原宿で生まれて原宿で育って学校に通った人もいるんだよな」なんて、途方もない気持ちになるけれど、東京はそうじゃない、東京以外で生まれ育って、それでもその地方に居場所を見つけられなかった人達の全ての居場所であり、受け皿な気がする。

だからこそ、東京はいつだってカテゴライズしきれない、特別な場所なんだと思う。東京で生まれ育ったナチュラルボーン東京人や、ドラマを持っている上京者からしたら、本当ちっぽけでくだらないプライドかもしれないけれど、

私は今日も東京で生きている。

分だけの力で、誰にも頼ることなく、大人としての責任を果たして、生きている。その誰にも曲げられない事実だけが、ここ東京で、私を生かしている。 そして、きっと明日も、私を生かすだろう。

今夜も心で呟く、「私は東京で私だけの力で生きている」。