私は人が過ごす場所をつくることを仕事としている。
町を見るのが好き、建物を見るのが好き、それくらいの軽い気持ちで決めた高校生の時の進路を仕事にした。
大学に入ってからは劣等感の連続だった。
小さい頃からの夢を持って進路を選んできた人、絵で表現することが上手い人、手先が器用な人、アイディアがどんどん出てくる人、いわゆる“センス”と言うものを持っている人が沢山いて、正直苦しい日々だった。
授業で出る課題は、思うように出来たことは無かったし、講評会で優秀作品として選ばれることも無かった。
好きと思っていたものが好きではなくなってしまう時もたくさんあった。
それでも続けてしまったのは、自分の諦めの悪さのせいで、すっぱり諦めていける人が羨ましかった。
もがいてもうまくいかない、でも諦めて良いのかも分からない。
“センス”の壁は大きかった。
◎ ◎
就職活動も何敗かし、きっと長くは続けないからと、深く考えず今の会社に入社することを決めた。
入社して驚いたことは、自分と似た、いわゆる“くすぶっている人”がたくさんいることだった。
同世代から自分の親世代まで、「この人、まだ諦めてないな、、、(笑)」と思う人がたくさんいた。
“くすぶっている人”達は、とても必死で、でも何だか楽しそうだった。
よく徹夜もする、給料も高くはない、食事中も仕事の話ばかり、純粋につくりたいものを限られた時間と予算で絞り出そうと必死な同僚の姿は、客観的に見たら普通じゃなくて、その普通じゃなさが素敵でもあった。
でも、ずっと続けるべきではないと判断して辞めていった同僚は多い。
その判断が正しいと分かるくらい私は普通だけれど、ここでも諦めの悪さを発揮して今まで来てしまった。
入社して4年目、初めて自分の描いた線がかたちになった。
考える時間はワクワクする反面、落ち着いて見返してみるとどれも平凡なアイディアばかりで、何とか「これで行こう」と決めても、工事が進むにつれて不安は大きくなり、眠れない日々を過ごした。
完成した時は、本当に嬉しかった。その場所で過ごしている人がいること、彼らが笑っていたりすると、それはもう泣きそうなくらい嬉しかった。
でも、もっと出来ることはあったなと、後悔も大きい。
「賞に応募してみたら?」という先輩の助言を受けて、挑戦した賞は、落選。
20代で結果を出すという目標は叶わなかった。
想像した場所をつくれた喜びだけでなく、結果も求めてしまうのは、自分もまだ若いからだろう(笑)。
30代を目前にした今でも挑戦は続けてしまっていて、別の賞の審査を何とか進みつつある。
◎ ◎
何だかんだ、“くすぶっている人”がいるところは自分の仕事の魅力かもしれない。
情熱があるみたいな格好いいものではなくて、何とかして爪痕を残そうという感じ(笑)。
今でも、案を考えるたび、平凡なものばかりで劣等感にさいなまれる。
こんなに劣等感を抱くなら、辞めた方がいいんじゃないか、ともたびたび思う。
この先どうしていくかは、今は分からない。
格好いい仕事だね、とよく言われるけれど、現実は全然違くて、劣等感とびびりを繰り返しながら、時間に迫られて進むしかない日々を送っている。
多くの人を感動させる場所をつくれる人は、ほんの一握り。みんなもうずっと前から分かっている。
だから今は、大したものじゃなくても、何か変えられるかもしれないことを信じて、くすぶりながら進んでいくことで、“センス”の壁に少しでも爪痕を残せたらと考えている。