私はお風呂の時間が大嫌い。なぜなら、自分のことをどんどん大嫌いになる時間だから。

お風呂に浸かっていると、頭が勝手に、自己否定沼に陥る。自分は本当に努力できない人間だな、何をやっても長続きしないな、だめな人間だな……。

そして、後悔のドツボにはまる。あの時別の選択をしていれば、ほかのことに目を向けていれば……。そして、いつの間にかのぼせて、動けなくなる。

体に力が入らない。洗う気力が出なくて、そのまま上がってしまうこともあった。 

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私は、すぐに自分と他人を比べて、劣等感にさいなまれるというおめでたい癖がある。

私の知人に、高校時代から音楽を始めて、今ではプロのミュージシャンとして活動している人がいる。その人は、来る日も来る日も暇さえあれば練習し、とにかく音楽に情熱を傾けてきたらしい。そんな生活を10年も続けてきたのだ。すごい。本当にすごい。

「自分にはこれだ!」というものを見つけて、一途に、ひたむきにそれと向き合って、ずっと続けて、好きなものを仕事にしている人生がとても美しく、「正しく」思えた。

片や私は、興味のない業界の会社に3年以内に辞めるつもりで新卒入社し、実際に1年で辞め、好きなことをしようと再就職した会社も、長続きしなかった。日々こなすのに精いっぱいのタスクと営業ノルマに追われる日々からは、好きなものとの繋がりを感じられず、心身の限界を理由に辞めた。

こんな自分の人生が酷く悲惨に思えて、辛抱できない自分が見ていられなかった。知人と比べてしまい、どんどん落ち込んだ。お風呂に入ると、このことを考える日が続いた。

私は「正しくない」人生で、あの人のようにはなれなくて、ブレブレで、何も持っていなくて、私なんて、私なんて……。他人は他人、自分は自分、と割り切ることができず、苦しんだ。知人を羨み妬む自分に、際限のない嫌悪を抱いた。

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そんなお風呂生活を続けていた。今日もしんどくなるのかな、と思いながらお風呂に入る。仕事も休んで平和だった私の頭は、いつもと違うことを考えた。

もしかして私は、自分のことばかり考えているのではないか?と。他人を見てすぐに「それに比べて私は……」となってしまう私は、思考の矢印が全部自分に向いている。もっと、周りに目を向けてみよう。外のものに興味を持ってみよう。そんな風に思えてきた。

シャンプーをしながら、そういえば数日前、私は矢印を他人に向けられたかも、と思い出す。恋人から熱中症になったと連絡が入って、心配になりそばに行こうと思った。それまで動画配信アプリでドラマを見て、何もする気が起きずだらだらしていたのに、急にスイッチが入って、ものの10分で支度をして駆け付けた。

ああ、そうだった。私は、他人が元気になったり、喜んでくれたりするなら、頑張れるのだった。喜んでくれたら嬉しいから、自分のための行動でもあるけれど、大切な人が笑顔になってくれるところを想像したら、めきめきと力が湧いてくる。

なんだ、あるじゃない、私の頑張る方法。

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一方で、それで残念な思いもたくさんしてきた。友達に認められたくて、好きでもないものを好きと言って、本当にしたいわけではないことにたくさんの時間を費やしてしまった。知り合ったばかりの人が喜んでくれるのがうれしくて、忙しいのに無理して誘いに応じた。

どうやらこの方法は、使い方には注意が必要なのだろう。でも、私は頑張っているときの自分が好きだから、誰かのことを想う機会を増やしていきたい。

今日は良いお風呂に入れたな。お風呂から上がって、寝床に向かおうとしたとき、疲れた母の顔を見て、何かできることはないだろうか、あればしてあげたい、という気持ちになった。

そこで、母にフェイスマッサージを申し出た。小学生か中学に入ったばかりの頃、よくしてあげていた。久しぶりに母の顔に触れた。クリームのついた笑顔も久しぶりに見た。長く一緒にいる人とは、言葉より、肌や手のぬくもりを通したコミュニケーションが癒しになるのかな、とまたひとつ思い直させられた。

私のお風呂時間は、自分を大嫌いになる時間じゃない。自分と話す時間だったのだ。

もう、大嫌いな時間ではない。長風呂癖のある私だから、お風呂の温度を下げておこう。