大学のない日は昼過ぎに目が覚めて、ルイーズ・グリュックの詩集をひらく。この部屋からはるか離れた車の走行音や工事音だけが耳に届く。静謐で穏やかな土曜の正午にのみ許された時間に包まれていると、様々のとりとめないものごとが思い出されてくる。
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昔住んでいた小さな港町、その小学校の教室の窓からは遠く海と国道が見えた。海沿いに架けられた鉄橋を渡っていく自動車たちを見ると、あの中の一つとして私も隣町や、それよりもっと遠いどこかへ行ったことがあるのだということが何となく不思議に思われた。
今こうして教室の固い木の椅子に座り鉛筆を握っている私と、母の運転する車の後部座席に座り、運転ごっこをしながら隣町のイオンやピアノ教室に行く私、いわば学校に拘束された私と学外の自由を味わう私、そのふたつが並立し、かつ同時に存在しているのが私自身であるというのがいかにも不思議なことのようだった。
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高校のずる休みをした日の昼間、雪が曇り空から降りてあたりを白く覆っていくのを窓越しに見ていたときに感じた、あれはなんだったんだろう。優越感混じりの開放感だろうか。一方ではクラスメイトが狭い教室にすし詰めにされて、自分の立っていられる居場所を探しているというのに、私は小さな自室で雪を見ていた。
登校せずにここにとどまっているのは間違いの筈なのに、少なくともこの布団の中だけは暖かく安全だった。あの頃の私は自分を幸福だなんて思ってはいなかっただろうけれど、ただ一人の部屋が与えてくれるだけの幸福はあったのだろう。
これはいつのことだろう、母方の祖父母の家に泊まった日は翌朝に風呂に入った。北向きの壁には小さな庭に面した採光窓があり、午前中の白い光が浴室に差し込んでいる。清潔な湯船に身体をすべらせ熱い湯に浸かるとふうっと解ける心地だった。
顔を合わせるたび孫の見た目に言及する祖父母のいない浴室は一人きりで、私は自由だった。見下ろした水中でゆらめく自分の手足は頼りないほど白くひかる。バスタブの水面には朝の光が満ちていた。
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こうして書き連ねてみると、どうも私の居心地のいい場所は自分一人の部屋、自分一人の空間らしい。話しかけていいグループが固まった教室は息苦しかった。一人で食べる昼食を教室のクラスメイトに見られたくないからと、Twitterのタイムラインを見ながらトイレで食べたこともあった。家庭内ですら親の機嫌を伺うのが息苦しかった。
早く実家を出ようと都会の高校を受験しすべり止めで合格したものの、家を出るという目標を達成した途端あっさり燃え尽きて、なんのために生きてなんのために学校に行くのかもわからなくなった。
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今、夜間大学生として生きている私が、あの頃の私に言えるのは、生きるかどうかは自分で決めていいということだ。生きたければ生きればいい。それが無理なんだ、自分にはまともにできっこないんだと言うなら休めばいい。一人の部屋でひっそりとスマートフォンの画面を相手に息衝きつづけた時間が、今も私を生かしている。
これに関してはきっと運がよかったのだと思う。私はインターネット上に居場所を見つけられた。SNSの窓をひらけば、現実の私を知らないからこそ過分な期待を寄せることもキャラクターを強制することもなく、各々の個人的な趣味に熱中している人たちがいた。
そこで関わった人に助けてもらって「生きていていいに決まってるだろ」と言われて、今の私がある。こんな人間じゃあもうどうしようもないと諦めていたのに、気がつけばどうにかなっていた。少なくとも自分の心が回復するという奇跡に気がついた。見ず知らずの他人に生かされて、今をどうにか生きようと思えている。きっと生きていける、そんな気がしている。
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私が言える言葉はこんなもので、苦しみの最中にあるひとには何の足しにもならないかもしれない。けれど、こんな有様の私が生きていていいのなら、これを読んでいるあなたも、生きていていいに決まっている。だからどうか、自分を責めないでほしい。できれば、生きて幸せになってほしい。それだけを祈っている。
あなたがどこか居心地のいい、安心していられる場所で、ほっと息をついて、かろうじて平静を取り戻せたときに、美しかった景色、幸福だった記憶を思い出せたらいい。たとえ今振り返ったさきに不安と後悔と恥と苦痛しか見つからなくても、いつかはそんな日が来てほしいと願っている。