金曜日の仕事終わり。そういえば私は、わざわざ上り電車に乗って東京方面へ向かっていた。あのときの懐かしい思い出と共に、私にとっての東京を考えていきたい。

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転職前の職場にいたとき、私の定時は17時過ぎだったと思う。金曜日は残業するものが多い中、私は定時ぴったりに退勤して急いで電車に向かっていた。いつもと違う路線かつ上り電車に乗ってゆらゆら揺られて数十分。電車の中が妙に空いていたことはよく覚えている。

東京のなかでも大きなターミナル駅に到着したら、私は慣れたように道を歩いた。実際、慣れるのには時間がかかったし、人の多さにはなかなか慣れずによく肩がぶつかり謝罪をする、なんてこともあった。そうやってようやくたどり着く場所は、小さな、でも立派なプラネタリウムだった。

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私の東京のイメージは専らこのプラネタリウムだ。

金曜日の最後の回は19時からだったもので、定時ダッシュをすれば間に合う時間だった。金曜日の夜に、同僚の「え、万里さん帰るんですか」なんていう表情を見ながら社内を出て行ったのは今でもよく覚えている。東京という煌びやかな場所で、小さくたたずむ立派なこの建物は、私の癒しの一つだった。

何度も通うにつれて、自分が仕事の疲れをここに置いていっていることがわかった。

プラネタリウム内で、東京の街並みの電気を全て消して、星々が輝くときに涙を流したのは何回あっただろうか。それくらい、私にとってここは特別な場所だった。だからだろうか、東京というと人が多く明かりも強くて、どこかちょっと息苦しい感覚があるのだけれど、このプラネタリウムのことを思うだけど、「いいや、そればっかりではない」なんて思うのだ。

都心は確かに人も多い。中には私の容姿について言及してくる人もいるし、頼んでもないのに仕事を進めてくる人もいる。全てが嫌になるときもあるが、坂道を登りながらターミナル駅から少しずつ離れていく時間は嫌いじゃなかった。

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だから、私にとっての東京は「嫌いになりきれない」ものなのかもしれない。

人混みも、街の明るさも、音楽や、情報も、めいっぱいある東京。私には刺激が強すぎて辛いと思うことすらある。家の近くで食事をするよりもずっと体力を持っていかれているのもわかっている。それでも嫌いになれないのは、思い出のプラネタリウムがまだそこにあり続けてくれているからだろう。

唯一、街の灯りを消してくれる場所。

私の仕事の疲れを癒してくれる場所。

そんな場所が、あの東京にある。だから私はあそこを嫌いになれない。きっとそうなのだろうと思う。

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それから、あのプラネタリウムで教えてもらった、東京の空にも星々は実は輝いているのだという事実が私を東京嫌いにさせてくれない理由の一つなのかもしれない。煌々と輝く街があるからあまり見えないが、街の明かりが消えなくたってこの東京にも星は輝いているのだと思うと、どこか愛おしいようにも思う。

不思議だ。人混みも、明るすぎる街灯も、情報も、全て苦手なのに。空だけは嫌いになれない。それを教えてくれたのは、皮肉にも東京の真ん中にあるプラネタリウムだった。だから私は、この街を嫌いになり切れないのだと思う。